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中東観察

仕事の合間にちょくちょくこちらへ逃避予定。 もっぱら趣味。(09`06/02) 最近ではもっぱらデータバンク化。 ご自由にご利用下さい。(09`07/01) ※リンクはご自由にどうぞ。 最近相互リンクのご依頼が相次いでいますが、まずはリンクを張られてからお問い合わせ下さい。こちらも迅速に対処いたします。(09`07/01)
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2024/11/26
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2009/06/01
16:28
第二次中東戦争

1956年にエジプトで、イギリス・アメリカによるアスワン・ハイ・ダムの建設が中止になったため、当時のエジプト大統領ナセルは7月、対抗手段としてスエズ運河の国有化を発表した。スエズ運河運営会社の株主でもあり、石油を含む貿易ルートとして、スエズ運河を利用するイギリス・フランス両国はこれに反発した。そのため、10月、イスラエルを支援してエジプトとの戦争を煽動し、自らは仲裁の名目で介入した。

戦争は10月29日、イスラエルによるシナイ半島侵攻により開始された。空挺部隊・戦車部隊を活用した攻撃により、エジプト軍は総崩れとなり、シナイ半島の大半は、イスラエル軍が占領することとなった。イスラエル軍が進撃中の、11月5日イギリス・フランスも軍事介入し、スエズ運河地帯に上陸した。しかし、この攻撃にはエジプトを支援してきたソ連はもちろん、イギリス・フランスが支持を期待していたアメリカも含めて国際的な非難が沸き起こり、11月6日に国連の停戦決議を受け入れることとなった。これがPKOの起源である。12月になり、国連の調停により、英仏両国はエジプトによるスエズ運河国有化を受け入れた。

エジプトは1957年1月にイギリスとフランスの銀行を国有化し、3月にスエズ運河の運行を再開した。一般には「スエズ動乱」や「スエズ戦争」とも呼ばれる
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2009/06/01
16:27
第一次中東戦争

1948年5月14日、イスラエルが独立を宣言すると、これに反対する周辺アラブ諸国(エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノン、その他パレスチナのアラブ人部隊など)がパレスチナへ進軍した。アラブ側の兵力は約15万以上、イスラエル側の兵力は3万弱といわれている。数で優勢なアラブ連合軍はイスラエルを包囲する形で進軍したが、各国間の不信感から連携がうまくいかず兵士の士気も低かった。緒戦はその物的優位によりアラブ連合軍が善戦する。しかし、二度の休戦期間の間に、イスラエル軍は部隊を強化することに成功した。アラブ諸国の足並みの乱れもあり、ヨルダン方面を除き、戦況は次第にイスラエル優位になった。そして、イスラエル優位のまま1949年6月、双方が国連の停戦勧告を受け入れた。イスラエルでは、この戦争を独立戦争と呼ぶ。この戦争によって、イスラエルの領土は、国連による分割決議以上の範囲が確保された。

2009/06/01
16:24
簡単に中東戦争史

中東戦争(ちゅうとうせんそう)は、ユダヤ人国家イスラエルと周辺アラブ国家との間での戦争である。1948年から1973年までの間に大規模な戦争が4度起こっており、それぞれが第一次から第四次に分類されている。

アメリカ・イギリス・フランスがイスラエルに、ソ連がアラブ側に対して支援や武器供給を行っていることから、代理戦争の側面も含んでいる。ただしイデオロギーよりは中東地域による利権や武器売買などの経済的な動機が重きを占めていた。そのため初期にイスラエルに支援や武器供給を行なっていたイギリス・フランスは第3次中東戦争以降は石油政策などからアラブ側に回り、さらに中華人民共和国やイラン革命後のイランが武器供給や軍事支援においてアラブ側に入り込むなど、大国や周辺諸国の思惑の入り混じる戦争でもある。

また双方の宗教の聖地であるエルサレム、ヘブロンなどの帰属問題の絡んだ宗教戦争の側面もある。

2009/05/29
16:22
ハマスってナニ?

ハマース(حماس、Ḥamās)は、パレスチナのイスラーム主義団体で、パレスチナ解放運動の諸派のうち、いわゆるイスラーム原理主義の代表的な組織、あるいは政党(野党)である。1987年12月14日、ムスリム同胞団とイスラム・ジハードのパレスチナ支部に基づき、アフマド・ヤースィーンによって創設された(文化・啓蒙組織として、イスラエルにより公式登録)。日本の報道などでは「ハマス」と呼ばれる事が多い。

正式名称はイスラーム抵抗運動(حركة المقاومة الاسلامية、Harakat al-Muqāwama al-Islāmīya)といい、各単語のアラビア文字の頭文字ح(Ḥ)、م(M)、ا(Ā)、س(S)を取ってحماس(ハマース、アラビア語で「熱情」という意味)と通称される。

アメリカ合衆国、欧州、サウジアラビア、ヨルダン(1999年にヨルダン当局により閉鎖。2008年再開)、シリア、レバノン、イラン等に支部や支持団体を有する。シリアとレバノンには、教育キャンプが存在する。

以上が例によってWIKI情報。
イザディン・アル・カサム軍団という独自の戦闘部隊を保有するらしいが、

『パレスチナ住民にとっては、機能不全に陥っている自治政府にかわって、貧困層のために病院、孤児院、学校などの経営を行うといった医療・教育等福祉をおこなっている自助組織の意味合いが強い』

という一節もある。立場が変われば視点も変わる。
様々な立場があるということが難しいところだ。
聖戦を歓迎している市民もいることだろう、兵士のみならず。
自爆テロや破壊される建物に深い悲しみだけを持つ人々だけで構成されている
わけではないのが事実だ。

憎しみの連鎖戦争という状態だけがこの世界を覆えば、偏見は今よりもグッと
減る。今わかる限りの問題の1つは、

この地球上に、信仰と領土への権利を懸けて殺しあう場所と
(そしてそれをごく当然に捉える人々と)
まったくそうではない場所と人が混在しているからに見える。

my private opinionですが・・

はてなによると
以下
HAMAS (Islamic Resistance Movement)

イスラム抵抗運動。

イスラエルからすると狂信的テロ組織であるが、実際にはそう簡単に断定できるものではない。

ムスリム同胞団のパレスチナ支部を基礎として、1987年に生まれた。方針として、イスラエルを倒してイスラム的なパレスチナ国家の建設を目指すというのがわかりやすく、PLO主流派に対して不満を抱く層にアピールするところも大きい。

また、アラブ諸国からの資金を得て、教育などの社会サービス分野で相当な活動を行っており、その点からもパレスチナ人の支持を得ている面もある。

ただし、結果としてみれば、パレスチナを弾圧するイスラエル右派にとって、武力闘争のためのハマス軍事部門が「和平が進みそうになるとテロ行為でそれを止めてくれる最良のパートナー」となってしまっているという現実もある。

知恵蔵2009の解説からは以下

パレスチナ人のムスリム同胞団は、インティファーダ時にハマスの名を冠して活動を強化した。パレスチナ全土が神からのイスラム教徒への信託地であるとして、イスラエルの承認と和平に反対してきた。2005年8月のガザ撤退を、自らの果敢なゲリラ攻撃(イスラエルからみればテロ)の結果とみている。06年1月のパレスチナ評議会選挙で圧勝。勝利の背景には、権力を独占してきたファタハの腐敗があった。また医療の提供などの福祉部門での広範な活動も、貧しい人々の支持の源泉である。ハマスとはアラビア語のイスラム抵抗運動の頭文字であるが、同時に「熱狂」という意味でもある。
( 高橋和夫放送大学助教授 )


ではインティファーダとは・・
パレスチナのインティファーダは「イスラエルによるパレスチナ軍事占領に対する2度の民衆蜂起(或いは抵抗運動)」に対する呼称として一般的に使用される。イスラエル強硬派からは「既にパレスチナ自治区が存在するにもかかわらず(第一次時点では未発足)、国際社会を反イスラエルに向けようとするテロ作戦の一環」とみなされ、「蜂起を名目とした不均衡な戦争」として主張されることもある。イスラエルの一部ではインティファーダとそれへの弾圧などにより「強硬な対パレスチナ占領政策」の誤りに気付き、良心的兵役拒否や和平支持などの運動が広がる契機となった。


イスラム文化を、もっともっと勉強する必要があるようです。


2009/02/10
09:20
Remember of Gulf war


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記憶にある限り、最も古い戦争体験は
1990年の湾岸戦争だったと思う。
(祖父との触れ合いや、読書や映画などから得られる体験を除けば)
幼かったあのころ、勝手にクェート戦争などと呼んでいた。
 当時はまだソ連があった。
闇夜のクェート湾岸をテレビ画面上に緑色の残像を残しながら、
 まるでTVゲームのように砲撃を繰り返すアメリカ軍の記憶が
まだ鮮明に残っている。
 概要は以下、例にjよってWikipediaより抜粋。

湾岸戦争(わんがんせんそう、英語:Gulf War)は、1990年8月2日イラククウェートに侵攻したのを機に、アメリカ合衆国が中心となり、国際連合多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。イラクのクウェートへの侵攻から湾岸戦争の開始ととらえることもある。アラブ諸国では、イラン・イラク戦争を第一次湾岸戦争として、こちらを第二次湾岸戦争(حرب الخليج الثانية)と呼ぶことがある。」

 中東は、熱い国の集合地帯だ。とても、とても。
私が生まれるずっと前から、積極的に殺し合いを続けている。
それも至極胸を張って。

極端に言えば、“男性的”という一つの立場として考えたとき、
あるいは理想的なのかもしれない。
 自分の正当性のためなら“全世界を敵に回しても戦い続ける”(イスラエル国防軍)
という狂気じみたこの歪な姿勢は。

 特に現在の利益を追求するためだけに転がり続ける
幻想の資本主義社会から見て、時に大国に利用され、時に利用しながらも
飽くことなく戦い続ける彼らの生き様はひどく
網膜に痛い。いろんな意味で。

.. その彼らの誇り高さや意地が
果たしてどこからくるのか?
 まずは歴史を通して知りたいと思う。