| 2026/04/11 05:18 |
[PR] |
| 2009/06/01 16:27 |
第一次中東戦争 |
| 2009/06/01 16:26 |
アラブとユダヤの対立 |
このころすでにドレフュス事件などの影響もあり、ヨーロッパではパレスチナ帰還運動(シオニズム)が起こっていた。ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国で離散生活をしていたユダヤ人(人種的に白人との同化が進んでいた)によるパレスチナ入植がはじまった。パレスチナを統治しているイギリスなどのヨーロッパ諸国は、はじめは入植を規制しなかった。
急増した入植ユダヤ人は、パレスチナ人(元居たユダヤ人も含め)との友好を望まず、それまでユダヤとアラブの間にあった友情は失われた。アラブ人は急増する入植ユダヤ人を恐れ、イギリスに対して入植の制限を求め、イギリスも制限を承諾した。すると、ユダヤ人過激派がイギリスに対して爆弾テロで反撃した。
時は折りしも第二次世界大戦、ナチス党率いるドイツはユダヤ人狩りに着手し、多くのユダヤ人が難民となって目指したのも「約束の地」パレスチナだった。戦中から戦後にかけ、ユダヤ人の入植は後をたたず、制限すればテロに遭い、イギリスは成す術を持たなかった。
戦後に成立した国際連合に、イギリスはパレスチナ問題を提訴。国連は1947年11月に、パレスチナにアラブ人国家とユダヤ人国家双方を分割して建設する国連決議を採択し、イギリスによる委任統治が終了することが決定した。アラブ人側は、人口の半分に満たないユダヤ人に大量の土地を与えるこの国連決議に反発し、これ以降ユダヤ人とアラブ人双方の間で、武力衝突(暴動・テロ)が頻発することとなった。
1948年5月14日、イギリスによるパレスチナ統治終了の日に、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言した。
| 2009/06/01 16:24 |
簡単に中東戦争史 |
アメリカ・イギリス・フランスがイスラエルに、ソ連がアラブ側に対して支援や武器供給を行っていることから、代理戦争の側面も含んでいる。ただしイデオロギーよりは中東地域による利権や武器売買などの経済的な動機が重きを占めていた。そのため初期にイスラエルに支援や武器供給を行なっていたイギリス・フランスは第3次中東戦争以降は石油政策などからアラブ側に回り、さらに中華人民共和国やイラン革命後のイランが武器供給や軍事支援においてアラブ側に入り込むなど、大国や周辺諸国の思惑の入り混じる戦争でもある。
また双方の宗教の聖地であるエルサレム、ヘブロンなどの帰属問題の絡んだ宗教戦争の側面もある。
| 2009/05/29 16:22 |
ハマスってナニ? |
正式名称はイスラーム抵抗運動(حركة المقاومة الاسلامية、Harakat al-Muqāwama al-Islāmīya)といい、各単語のアラビア文字の頭文字ح(Ḥ)、م(M)、ا(Ā)、س(S)を取ってحماس(ハマース、アラビア語で「熱情」という意味)と通称される。
アメリカ合衆国、欧州、サウジアラビア、ヨルダン(1999年にヨルダン当局により閉鎖。2008年再開)、シリア、レバノン、イラン等に支部や支持団体を有する。シリアとレバノンには、教育キャンプが存在する。
以上が例によってWIKI情報。
イザディン・アル・カサム軍団という独自の戦闘部隊を保有するらしいが、
『パレスチナ住民にとっては、機能不全に陥っている自治政府にかわって、貧困層のために病院、孤児院、学校などの経営を行うといった医療・教育等福祉をおこなっている自助組織の意味合いが強い』
という一節もある。立場が変われば視点も変わる。
様々な立場があるということが難しいところだ。
聖戦を歓迎している市民もいることだろう、兵士のみならず。
自爆テロや破壊される建物に深い悲しみだけを持つ人々だけで構成されている
わけではないのが事実だ。
憎しみの連鎖戦争という状態だけがこの世界を覆えば、偏見は今よりもグッと
減る。今わかる限りの問題の1つは、
この地球上に、信仰と領土への権利を懸けて殺しあう場所と
(そしてそれをごく当然に捉える人々と)
まったくそうではない場所と人が混在しているからに見える。
my private opinionですが・・
はてなによると
以下
HAMAS (Islamic Resistance Movement)
イスラム抵抗運動。
イスラエルからすると狂信的テロ組織であるが、実際にはそう簡単に断定できるものではない。
ムスリム同胞団のパレスチナ支部を基礎として、1987年に生まれた。方針として、イスラエルを倒してイスラム的なパレスチナ国家の建設を目指すというのがわかりやすく、PLO主流派に対して不満を抱く層にアピールするところも大きい。
また、アラブ諸国からの資金を得て、教育などの社会サービス分野で相当な活動を行っており、その点からもパレスチナ人の支持を得ている面もある。
ただし、結果としてみれば、パレスチナを弾圧するイスラエル右派にとって、武力闘争のためのハマス軍事部門が「和平が進みそうになるとテロ行為でそれを止めてくれる最良のパートナー」となってしまっているという現実もある。
知恵蔵2009の解説からは以下
パレスチナ人のムスリム同胞団は、インティファーダ時にハマスの名を冠して活動を強化した。パレスチナ全土が神からのイスラム教徒への信託地であるとして、イスラエルの承認と和平に反対してきた。2005年8月のガザ撤退を、自らの果敢なゲリラ攻撃(イスラエルからみればテロ)の結果とみている。06年1月のパレスチナ評議会選挙で圧勝。勝利の背景には、権力を独占してきたファタハの腐敗があった。また医療の提供などの福祉部門での広範な活動も、貧しい人々の支持の源泉である。ハマスとはアラビア語のイスラム抵抗運動の頭文字であるが、同時に「熱狂」という意味でもある。
( 高橋和夫放送大学助教授 )
ではインティファーダとは・・
パレスチナのインティファーダは「イスラエルによるパレスチナ軍事占領に対する2度の民衆蜂起(或いは抵抗運動)」に対する呼称として一般的に使用される。イスラエル強硬派からは「既にパレスチナ自治区が存在するにもかかわらず(第一次時点では未発足)、国際社会を反イスラエルに向けようとするテロ作戦の一環」とみなされ、「蜂起を名目とした不均衡な戦争」として主張されることもある。イスラエルの一部ではインティファーダとそれへの弾圧などにより「強硬な対パレスチナ占領政策」の誤りに気付き、良心的兵役拒否や和平支持などの運動が広がる契機となった。
イスラム文化を、もっともっと勉強する必要があるようです。
| 2009/02/10 09:20 |
Remember of Gulf war |
記憶にある限り、最も古い戦争体験は
1990年の湾岸戦争だったと思う。
(祖父との触れ合いや、読書や映画などから得られる体験を除けば)
幼かったあのころ、勝手にクェート戦争などと呼んでいた。
当時はまだソ連があった。
闇夜のクェート湾岸をテレビ画面上に緑色の残像を残しながら、
まるでTVゲームのように砲撃を繰り返すアメリカ軍の記憶が
まだ鮮明に残っている。
概要は以下、例にjよってWikipediaより抜粋。
「湾岸戦争(わんがんせんそう、英語:Gulf War)は、1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、アメリカ合衆国が中心となり、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。イラクのクウェートへの侵攻から湾岸戦争の開始ととらえることもある。アラブ諸国では、イラン・イラク戦争を第一次湾岸戦争として、こちらを第二次湾岸戦争(حرب الخليج الثانية)と呼ぶことがある。」
中東は、熱い国の集合地帯だ。とても、とても。
私が生まれるずっと前から、積極的に殺し合いを続けている。
それも至極胸を張って。
極端に言えば、“男性的”という一つの立場として考えたとき、
あるいは理想的なのかもしれない。
自分の正当性のためなら“全世界を敵に回しても戦い続ける”(イスラエル国防軍)
という狂気じみたこの歪な姿勢は。
特に現在の利益を追求するためだけに転がり続ける
幻想の資本主義社会から見て、時に大国に利用され、時に利用しながらも
飽くことなく戦い続ける彼らの生き様はひどく
網膜に痛い。いろんな意味で。
.. その彼らの誇り高さや意地が
果たしてどこからくるのか?
まずは歴史を通して知りたいと思う。