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中東観察

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2009/06/17
09:43
多神教優位論

多神教優位論(たしんきょうゆういろん)とは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など『アブラハムの宗教』とよばれる一神教、若しくはその他の一神教の教えを本質的に劣等なものとみなし、対抗して多神教の優越性を主張する思想のことである。とりわけ現代では反イスラーム主義などの影響で多神教の「寛容性」を主張し、一神教を「攻撃的」であると決めつけて批判する場合が多い。ここでは主として現在の多神教優越主義について記述する。

多神教優越主義者は、一神教は「唯一の神」を信奉するため他宗教に対し本質的に非寛容であると主張し、対して多神教は多くの神を認めているため他宗教に対し寛容であると唱えている。


日本における多神教優位論 [編集]
日本では、キリスト教国家とイスラム教国家が千年以上にわたり己が信ずる「唯一の神」への信仰のために戦争を行ってきたことや、近年のナショナリズムの高揚が相まって、日本古来の宗教である神道や外来の宗教ながらも深く日本に根付いた仏教などが、キリスト教・イスラム教と比較し寛容性があるという主張が一部で支持を集めつつある。梅原猛や養老孟司、宮崎駿などは仏教や神道の持つ、キリスト教・イスラム教に対する絶対的優位性を説き、一神教を本質的に不寛容であるとしている。

反論
多神教優位論に対しては、一神教の「包括」的側面、即ち神が唯一であるならばたとえどのような宗教であっても、更には無神論者であっても神は平等に愛を注ぐものであるという思想が生まれうる余地があるという面を無視しているという反論がある。神の唯一性を否定する多神教は一神教に比べて他宗教の神の存在を認めやすいのは事実であるとしても、それは他宗教に対する寛容性には直結せず、寧ろ「他所の神」として排除しに掛かる可能性すらあるという意見も出されている。

歴史的に見ても、一神教徒の多神教徒に対する迫害同様、多神教徒による一神教徒もしくは多神教の別宗派に対する迫害も存在しており、どちらがより寛容かと言う問いは無意味であるとの主張もある。


現代における多神教徒同士の紛争の事例 [編集]
タミル・イーラム解放のトラも参照

スリランカでは主にヒンドゥー教徒のタミル人が、スリランカの多数派であり主に仏教徒であるシンハラ人から(一時は民族浄化も含む)弾圧・抑圧を受け続けてきている。

1975年には武力闘争を目的としたタミル・イーラム解放のトラがタミル人により結成された。一方で、穏健タミル政党であるタミル統一解放戦線は1980年代に入りスリランカ政府から非合法化された。こうした中で1980年代にはタミル人による武装闘争が本格化した。シンハラ人民族主義者によるテロ活動も行われている。

ノルウェー(ルーテル教会を国教とする)の仲介にも関らず、2009年現在も武装闘争が続いている。2009年4月13日にはノルウェーのオスロにあるスリランカ大使館が、タミル人デモ隊に襲撃された[1]。


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