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中東観察

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2009/06/03
19:59
ユダヤ教の教え・信仰

ユダヤ教徒はタルムードと呼ばれる教典に従って行動すると知られているが、これはラビ的ユダヤ教徒に限られる。タルムードは2世紀頃からユダヤ人の間で幾たびも議論の末に改良を重ねられてきた生活および思想の基礎であり、家族やユダヤ人同士でタルムードの内容について討議する事もある[2]。

教育

ユダヤ教において最も特徴のある分野は教育でユダヤ教徒は教育こそが身を守る手段と考え、国を守るには兵隊を生み出すよりも子供によい教育を受けさせるべきとされている。そのため一般大衆の殆どが文盲だった紀元前からユダヤ人のコミュニティでは授業料が無料の公立学校が存在していた。平均的なユダヤ教徒は非常に教育熱心で、子供をいい学校に行かせるためには借金をすることも当然と考える。家庭では特に父親の存在が重要で、先導して子供に勉強、タルムードなどを教え、子供を立派なユダヤ人に育てたものは天国にいけると信じられている。また子供が13歳に達するとバル・ミツワー(成人式)の儀式が行われ完全に大人と同様と扱われる。

死生観 [編集]

ユダヤ教は死を現実的なものと捉えており、一般的な宗教に見られる「死後の世界」というものは存在しない。最後の審判の時にすべての魂が復活し、現世で善行(貧者の救済など)を成し遂げた者は永遠の魂を手に入れ、悪行を重ねた者は地獄に落ちると考えられている。

労働

労働は神の行った行為の1つであるため、神聖な行為と考えられている。そして、安息日と呼ばれる休日を週1回は必ず行うべきであり、安息日の間は労働はしてはならず、機械に触れてもいけない。自分自身を見つめ、自分と対話したり、家族と対話したりする。



ユダヤ教では性衝動や性行為は自然なもので、必要悪とはみなさない。姦淫は罪であるが、夫婦の性行為はそれを捻じ曲げることがむしろ罪であるとされる。 また、快楽を伴わない性交も同様に罪とされる。
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2009/06/03
19:57
ユダヤ教

ユダヤ教(ゆだやきょう)は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェ(יהוה)を神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。ただしメシア思想は、今日ではハバド・ルバヴィッチ派などを除いて中心的なものとなっていない。
『タナハ』 (tanakh)、『ミクラー』 (miqra') とよぶ書を聖典とし、これはキリスト教において『新約聖書』と同じく重要な『旧約聖書』と同じ書物である。ただし、成立状況が異なるので、キリスト教とは書物の配列も異なる。イスラム教でも『モーセ五書』は『コーラン』に次いで重要視される。ユダヤ教では、この他にタルムードをはじめとしたラビ文学も重視する。

しかし、ユダヤ教はキリスト教やイスラム教と違い、信仰、教義そのもの以上に、その前提としての行為・行動の実践と学究を重視する。「ユダヤ教をヘブライ聖書と結び付けようとする試みは、ハラハーとは無関係であり … ルター主義的であって、ユダヤ教的ではない。イスラエルは聖典によって生活したこともなければ、そうしようとしたこともなく、そのように考えられたこともなかった …」のである[1]。例えば、ユダヤ教の観点からは、信仰を持っていたとしても、アミーダー・アーレーヌー・ムーサーフなどを含んだシャハリート・ミンハー・マアリーブを行わないこと、シェマア・イスラーエールを唱えないこと、ミクラーを読まないこと、食事の前とトイレの後の手洗いと祈りを行わないこと、戸口のメズーザーに手を当てて祈りを行わないこと、カシュルートを実行しないこと、タルムード・トーラー、ベート・ミドラーシュ、イェシーバー、コーレールなどミクラーとラビ文学の研究を行わないこと、シャッバートを行わないこと、パーラーシャーを読まないことなどは、ユダヤ教徒としてあるべき姿とは言えない。「信じるものは救われる」などという講義をするラビはとても考えられない。そのため改宗にも時間がかかり、単なる入信とは大きく異なる(例えばイスラエル国においてロシア系移民の改宗手続きをする場合、440時間を費やすので、一日2時間勉強しても最低7ヶ月かかる)。
ユダヤ教では、改宗前の宗教に関係なく、「地上の全ての民が」(『創世記』)聖なるものに近づくことができる、救いを得ることができる、と考える。「改宗者を愛せ」という考え方は、次のようなことばにもみることができる。
“ וַאֲהַבְתֶּם, אֶת-הַגֵּר: כִּי-גֵרִים הֱיִיתֶם, בְּאֶרֶץ מִצְרָיִם
寄留者(ゲール)を愛しなさい:あなた達がエジプトにおいて寄留者であったからである (ミツワー、典拠は申命記10:19) ”

すなわち、ユダヤ教徒であることとユダヤ人であることはほぼ同義に近く、血縁よりも教徒としての行動が重要視されることも多い。しかし、『イザヤ書』 56章の記述にあるように、神の下僕となり、神との契約を守る非ユダヤ人がユダヤ教徒になることには条件がなる。その場合、61章にあるように、ユダヤ人が神の祭司であるのに対し、非ユダヤ人は労役に服するという差別性があり、キリスト教のように「イエスを信じる者が平等に救いを得ることができる」とはしない。ここにもユダヤ教の普遍宗教的でなく民族宗教的な側面がある。

一方、形式的に考えれば初期のキリスト教徒はすべてユダヤ人だったのであり、「ユダヤ人キリスト教徒」という矛盾を含んだ呼称も成立する。世界中の全ての民族は「ユダヤ教」に改宗することによってユダヤ人となりうるのであり、ユダヤ人は他宗教に改宗することによってもはや狭い意味での「ユダヤ人」ではなくなってしまう。また、「民族宗教」といっても、例えば神道のように、特定の地域・場面においての繋がりしかなく、改宗手続き・運動もなく、日本人になる絶対的要素でもないような「宗教」とは全く性質・意味の異なる部分がある。民族の定義を血縁によるのか、宗教によるのか、「ユダヤ教」が「民族宗教」なのか、あるいは「宗教民族」ともいえるのか、といった問題につながる。

このように、内面的な信仰に頼らず行動・生活や民族を重視し、また唯一の神は遍在(maqom)すると考える傾向(特にハシディズムに良く現れる概念)があるため、ユダヤ教の内部にはキリスト教的、またイスラム教的な意味での排他性は存在しない。

2009/06/01
16:26
アラブとユダヤの対立

パレスチナは長い間イスラーム国家の支配下にあったが、異教徒が弾圧される事も少なく[要出典]、ユダヤ人とアラブ人の垣根なく(人種的にも同じで、宗教の相違によって双方を認識した)、お互いを認め合いながら共存してきた。しかし第一次世界大戦にオスマン・トルコが参戦し、連合国に敗れると、その領土はイギリスとフランスによって細かく分割され、保護国の名のもとに植民地化された。

このころすでにドレフュス事件などの影響もあり、ヨーロッパではパレスチナ帰還運動(シオニズム)が起こっていた。ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国で離散生活をしていたユダヤ人(人種的に白人との同化が進んでいた)によるパレスチナ入植がはじまった。パレスチナを統治しているイギリスなどのヨーロッパ諸国は、はじめは入植を規制しなかった。

急増した入植ユダヤ人は、パレスチナ人(元居たユダヤ人も含め)との友好を望まず、それまでユダヤとアラブの間にあった友情は失われた。アラブ人は急増する入植ユダヤ人を恐れ、イギリスに対して入植の制限を求め、イギリスも制限を承諾した。すると、ユダヤ人過激派がイギリスに対して爆弾テロで反撃した。

時は折りしも第二次世界大戦、ナチス党率いるドイツはユダヤ人狩りに着手し、多くのユダヤ人が難民となって目指したのも「約束の地」パレスチナだった。戦中から戦後にかけ、ユダヤ人の入植は後をたたず、制限すればテロに遭い、イギリスは成す術を持たなかった。

戦後に成立した国際連合に、イギリスはパレスチナ問題を提訴。国連は1947年11月に、パレスチナにアラブ人国家とユダヤ人国家双方を分割して建設する国連決議を採択し、イギリスによる委任統治が終了することが決定した。アラブ人側は、人口の半分に満たないユダヤ人に大量の土地を与えるこの国連決議に反発し、これ以降ユダヤ人とアラブ人双方の間で、武力衝突(暴動・テロ)が頻発することとなった。

1948年5月14日、イギリスによるパレスチナ統治終了の日に、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言した。