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中東観察

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2009/07/17
11:21
ターリバーン02

ターリバーンが活動しているワジリスタン地域

ゲリラ活動

しかし、ムハンマド・オマルをはじめとする指導部の多くは失われず、2003年以降アフガニスタン南部及びパキスタントライバルエリアワジリスタン州を根拠地に勢力を回復し、2006年中にはアフガニスタン南部四州で都市部以外の支配権を獲得するに至ったと言われる。

これにはパキスタンの原理主義勢力、及びその背後のISIが深く関与していると見る向きが強く、同年末にはアフガニスタン暫定行政政府の大統領ハミド・カルザイパキスタンを名指しで非難する事態に至った。

国際部隊の治安活動もあり主要都市の陥落などの危機的状況には陥っていないが、国際部隊の展開地域等でケシ栽培を禁じられた、あるいは多国籍軍の攻 撃で民間人が死亡したなどの理由により、とりわけパシュトゥーン人の間などで、治安の混乱と経済的苦境からターリバーン復活待望論が広まっているという[6]

一方、パキスタン国内でもテロ組織や政府反対派部族と共同戦線を張り、パキスタン軍や政府支持部族、アメリカ軍と戦闘を続けている(ワジリスタン紛争)。

アフガン南部ではターリバーンが独自の知事や裁判所を設置して完全な支配下に置いている地域がある。ヴァルダク州ではターリバーン独自の州知事、軍司令官、シャリーア法廷の設置やカーディー(シャリーア法廷の裁判長)を任命し、道路税などの税金の徴収、徴兵、学校の閉鎖やマドラサでの教育の強制、シャリーアに基づく刑罰の執行などを行い、完全にターリバーンの統治下にある。ローガル州の バラキー・バラク地区はターリバーンによる制圧後、床屋で髭を剃ることとテレビの視聴を禁じ、従わないものは「異教徒と外国人のスパイ」とみなすと住民に 脅迫したという。ヘルマンド州の大部分も中央政府の支配が及ばず、ターリバーンの影響下にあり、地元部族長によれば住民も政府を頼りにするのでは無く、 ターリバーンの"政府"を頼り、90%の住民がカルザイ政権ではなくターリバーンを支持しているという。[7]

また、再起したターリバーンは自爆テロや市街地での無差別テロなどイラク式の戦術を多用する傾向が顕著になり、アルカーイダとの一体化の進行が指摘されている。またこれら自爆テロでは同様の自爆テロや米軍の空爆で手足を欠損した身体障害者が6割に上るという調査結果が遺体検分に当たったカブール大学により2008年明らかにされている。[8]

 

2001年以降の主要な事件 

  • 2006年12月、米軍はターリバーンの軍事司令官であるムッラー・アフタール・ムハンマド・ウスマーニーをアフガニスタン南部で殺害したと発表。
  • 2007年5月、同じく軍事司令官であるムッラー・ダードゥッラーが戦闘で死亡。同年12月、ターリバーンのスポークスマンであるザビウッラー・ ムジャーヒドは「ダードゥッラー兄弟はターリバーンの規約に反して活動していたため、運動から除名されていた」と関係を否定する声明を発表。
2008年
  • 2月11日、パキスタン国軍は、同国南西部のバローチスターン州でダードゥッラーの兄弟であるマンスール・ダードゥッラーを拘束したと発表した。
  • 2月18日、アフガニスタン駐留するNATO傘下の国際治安支援部隊の発表によると、南部ヘルマンド州でターリバーン同州指導者のムッラー・マティーンとムッラー・カリーム・アガーを殺害したと発表した。
  • 3月31日、ヘルマンド州の州都ラシュカルガーにおける戦闘でターリバーン現地指導者の一人、ムッラー・ナキーブッラーをアフガニスタン警察が拘束した。ナキーブッラーは過去2回拘束されているが、その都度に脱走していた。
  • 7月17日、アフガニスタン駐留多国籍軍の発表によると、ヘルマンド州におけるターリバーン指揮官、ビスムッラー・アフンドを7月12日に殺害したと発表した。
  • 8月22日、アフガニスタン国防省報道官の声明によると、ヘラート州において地元の過激派と会合中だったターリバーン現地指導者、ムッラー・ シッディークをアフガン軍が殺害したと発表した。
  • 9月28日、アフガン治安当局者は、ガズニー州にて、同州アンダル地区のターリバーン指導者アブドゥル=ラヒーム・デーシューワら3人が空爆で死亡したと発表した。
  • 11月23日、NATO傘下の多国籍軍の発表によると、ヘルマンド州において同月19日に同州におけるターリバーン指導者、ムッラー・アサドを殺害したと発表した。アサドは、同州ガルムサー地区における攻撃の責任者とされる。
2009年
  • 2月15日、駐留米軍は、トルクメニスタンとの国境近くの民家に潜伏していたターリバーン指導者、ムッラー・ダスタジルを殺害したと発表。ダスタ ジルは昨年11月にアフガニスタン軍兵士が死亡したゲリラ攻撃を指揮したとされる。ダスタギルは以前、テロ容疑で拘束されていたが、恩赦により出獄してい た。
  • 4月、パキスタンにおいてターリバーン系武装勢力が勢力を拡大し、一時は首都イスラーマーバードまで100kmに迫った。
  • 5月、パキスタン軍の掃討作戦が本格化し、スワート州の最大都市ミンゴラに攻撃を加えている。
  • 6月23日、ウルーズガーン州タリーン・コト近郊で起きた、ターリバーンとアフガン・ISAF合同軍との戦闘で、同地域のターリバーン指導者ムッラー・イスマーイールが死亡した。

 

穏健派ターリバーン

ターリバーンには、主にアブドゥル=ワキール・ムタワッキル元 外相やハクサル元内務次官らで構成されるいわゆる「穏健派ターリバーン」という勢力も存在する。彼らは武装闘争を放棄し、政治によってターリバーンの掲げ た理想の実現を図ろうと考えている。ハクサルやムタワッキルが中心となって潜伏している元メンバーや武装闘争を続ける仲間に投降を促すなどして、議会選挙 参加を呼びかけた。アフガニスタン政府も同じパシュトゥーン人であるハーミド・カルザイ大統領がこの動きを歓迎して後押ししたが、かつてターリバーンと戦った旧北部同盟勢力などが「ターリバーンの復権につながる」と猛反発した。また、ターリバーン自身も穏健派を裏切り者だとして暗殺をほのめかした。

結局、議会選挙では州議会単位では何人かの元ターリバーンが当選したものの、中央議会単位では一人も当選せず、惨敗した。(事実、ターリバーンの政治参加阻止を掲げて立候補した女性候補が圧勝した地域もある)また、2006年にハクサル元次官が暗殺されたことを契機に、穏健派ターリバーンの活動も低調であり、カルザイ大統領らパシュトゥーン人勢力によって庇護されているのが実情である。

 

パキスタンにおけるターリバーンの戦闘 

麻薬問題 

アフガニスタンでは、麻薬の原料になるケシの栽培が伝統的に盛んだった。ターリバーンは、1997年終盤にケシ栽培を禁止したものの効力を得ず、2000年までには、アフガニスタン産のケシは、世界の75%に達した。2000年7月27日に再びケシ栽培禁止の法令を出し、国連の調査によれば、ナンガルハル州では12,600エーカーあったケシ畑がターリバーンによって破壊され、17エーカー(以前の0.14%)にまで減少するなどした。 [9]

こうした幾度かの禁止令にも関わらず、ターリバーンは実際にはアヘン栽培を積極的に容認したものと考えられている。2001年の国連麻薬取り締まり計画や1999年ウズベキスタンタジキスタンの報告によれば、ターリバーンの支配地域が広がるにつれ周辺諸国への密輸量は跳ね上がり、隣国のパキスタンでは1979年に皆無だった麻薬中毒者が1999年には500万人に達した。イランでは同時期120万人のアヘン中毒患者が報告された。

アフガニスタンを根源にする麻薬汚染の拡大に国際的な非難が相次ぐ中、ターリバーンは、麻薬使用への死刑適用、生産地でのケシ栽培の取り締まり等、麻薬を取り締まるかのような姿勢を演出した。

しかしながら、生産量を減らしたとはいえヘロインは ターリバーンが支配するただひとつの工場のみで生産が継続され、またケシ栽培の削減開始後も2,800トンに上るアヘン在庫は維持され、出荷が停止するこ とはなかった。このため2000年12月の安全保障理事会決議1333では、ターリバーン政権にアヘン製造を禁止する要請が出されている[3]

麻薬追放・減産の形を取りながら、生産や輸出そのものの停止には至らず、むしろ麻薬類の国家管理が厳格化されたことを如実に示すこれらの事実によ り、ターリバーンによる2000年の麻薬禁止令は、実質としては当時供給過剰により下落傾向を見せていたアヘン相場に歯止めを掛けるための一時的な出荷停 止措置であったと見られる [10]

この価格統制政策はターリバーン政権が崩壊した事で崩れ、北部同盟の掌握地域では各軍閥が自派の資金源として、または貧農が生活のためにケシ栽培を再開するケースが続出した。この為に生産量は再び激増、GDPの50%に相当する産業となっている。これは2005年では全世界の87%に当たる生産量である [11] [12]

アフガニスタン新政府はケシからの転作を進めており、2008年には前年に比べてケシ畑の耕作面積を19%減少させた。しかしアフガニスタンのケシ畑はターリバーンの勢力が強いヘルマンド州に全体の3分の2が集中しており、ターリバーンの資金源となっていると見られている[13]。またアヘン生産者が国内の混乱を継続させるためにターリバーンに献金を行っているという指摘もある[14]

 

日本人拉致殺人事件

詳細は「アフガニスタン日本人拉致事件」を参照

  • さらにNGOボランティアで働いていた日本人2008年8月26日に 拉致され殺害される事件が発生。ターリバーン広報官は拉致について関与を認め、NHKに対して「たとえ復興支援が目的であっても、アメリカに協力して、ア フガニスタンを訪れる外国人はすべて敵だ」と語った。ターリバーンはこの他にも多くの外国人NGO関係者の殺害に関与しているとされる。NHK論説委員山内聡彦の解説によれば、援助関係者を標的にすることでアフガニスタンの復興支援を妨害し、自分たちの武装闘争を有利に運ぶ狙いがある[15]
  • 日本が、対テロ特措法(時限立法)に基づいてインド洋において給油活動(自衛隊派遣)をおこなっているが上記NGO職員殺害事件の結果、2008年10月にこれを延長することへの影響が懸念された。

 

ターリバーン幹部 

2001年当時の主なターリバーン政権の幹部を下記する。

元首

内閣

1996年9月27日発足。2000年3月、8月内閣改造

  • 首相(統治評議会議長)-ムハンマド・ラッバーニー
  • 副首相(副議長)-アブドゥル・カビル
  • 副首相(副議長)-ムハンマド・ハサン・アコンド
  • 外相-アブドゥル・ワキル・ムタワッキル
  • 内相-アブドル・ラザン・アコンド
  • 蔵相-アブドル・ワサイ・アガジャン・モタセム
  • 文相-ハン・ムッタキー
  • 国防相-ムッラー・ハッジ・ウバイドゥッラー・アフンド
  • 航空相・観光相-アクタル・モハマド・マンスール
  • 通信相・労相-アフマドラ・モティ
  • 厚相-ムラー・モハンマド・アッバース・アフンド
  • 司法相-ヌルッディン・トラビ
  • 軽工業相・食糧相-ハムドラ・ザヘド
  • 鉱工業相-モハマド・イサ・アクンド
  • 農相・動物管理相-アブドル・ラティフ・マンスール
  • 巡礼寄進相-サイド・ギアスディン・アガ
  • 計画相-サドディン・サイド
  • 貿易相-アブドル・ラザク
  • 難民相-アブドル・ラキブ
  • 国境相-ジャラロディン・ハッカニ
  • 兵站相-ヤル・モハマド
  • 保安相-モハマド・ファゼル
  • 高等教育相-カリ・ディン・モハマド


その他主要幹部

  • 最高裁判所長官-ヌール・モハンマド・サキーブ
  • アフガニスタン中央銀行総裁-ムラー・ハジ・アフマディ
  • 駐国際連合使節[16]-アブドゥル・ハキム・ムジャヒド

 

脚注・出典 

  1. ^ アフガニスタン ムシャラフ辞任後のパキスタン混迷化JETRO新領域研究センター 研究員鈴木均論文
  2. ^ 安保理決議1267(訳文) 外務省
  3. ^ a b 安保理決議1333(訳文) 外務省
  4. ^ ただし支持者がまったくいなかったわけではなく、イランの映画監督モフセン・マフマルバフなど個人的な支持者もいた。日本のイスラム研究家中田考はこの破壊を『問題ない』、『仏像はイスラームでは価値のないゴミと同じ』と主張している。イスラームの世界観と宗教対話参照。
  5. ^ また、アフガニスタンで活動するNPOペシャワール会中村哲は『堕落を象徴する偶像を壊して身を清め、飢餓に瀕して死んでいかないように、神に祈ろうという雨乞いの儀式』であるとしている。中村哲『ほんとうのアフガニスタン―18年間“闘う平和主義”をつらぬいてきた医師の現場報告』(光文社)ISBN 978-4334973339
  6. ^ 『タリバンの復活―火薬庫化するアフガニスタン』花伝社、ISBN 9784763405302
  7. ^ http://www.newsvine.com/_news/2008/12/27/2250565-as-taliban-nears-kabul-shadow-govt-takes-hold
  8. ^ 毎日新聞2008年10月20日朝刊1面
  9. ^ Afghanistan, Opium and the Taliban
  10. ^ アフガニスタンの歴史 マーティン・ユアンズ著(明石書店[疑問点 ]
  11. ^追跡 ヘロイン・コネクション」BS世界のドキュメンタリー、2/21, 2007 (原題: 「Afghanistan;The Heroin Connection」Ampersand(フランス) 2006年)
  12. ^ Afghanistan: Addicted To Heroin
  13. ^ アフガンのアヘン生産、3年ぶり減少=干ばつも一因に-国連調査時事ドットコム
  14. ^ アフガニスタンのアヘン生産者、社会混乱存続のためタリバンに多額の資金AFPNEWS
  15. ^ 時論公論「アフガニスタン 日本人誘拐の背景」(NHK解説委員室ブログ2008年08月27日付記事)
  16. ^ ターリーバーン政権は国際連合への加盟を申請していたが、成立しなかった。

 

関連項目

 

参考サイト

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