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中東観察

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2009/07/16
11:25
【from Editor】山が動かなかったのはなぜか

2009.7.16 07:26
一国の激動は見る側にとって、そして、多分に演じる側にとっても筋書きのないドラマである。6月のイラン大統領選とその後の情勢混迷も、まさにそうだった。

 幕は意表を突く形で開いた。強硬保守派のアフマディネジャド大統領が、勝利予想も浮上した改革派のムサビ元首相に2倍近い大差をつけて、圧勝したのである。

 拍子抜けする間もなく、投開票を不正と見た改革派国民による激しい抗議行動が巻き起こる。勝敗を覆すまでの不正だったか否かはともかく、ムサビ氏が自らの地盤で敗れるなど、改革派の怒りの火を燃やすだけの疑惑があった。

 流血交じりの混乱もしかし、半月ほどでほぼ収束、大団円を期待した観客には、肩透かしの感なきにしもあらずの展開となった。

 確かに、シェワルナゼ大統領の退陣に至ったグルジアの「バラ革命」(2003年)も、クチマ亜流の体制に終止符を打ったウクライナの「オレンジ革命」(04年)も、アカエフ大統領が辞任に追い込まれたキルギスの「チューリップ革命」(05年)も、同じく大統領選や議会選の不正を発端とし、抗議行動により大規模な流血を見ずに長期体制を転換している。

 一連のいわゆる「カラー革命」の特徴は、軍や治安維持部隊が中立を保つ一方、司法判断などが節目で役割を果たしたところにある。

 フィリピンのマルコス独裁体制を崩壊させた「ピープル・パワー革命」(1986年)も、大統領選不正を引き金としてはいる。こちらは、野党の抗議行動に呼応して、軍内不満勢力が公然と反旗を翻し、体制にとどめを刺した。

 イランは、精鋭軍事集団の革命防衛隊が、ハメネイ師(最高指導者)-アフマディネジャド氏連合の側に立ち、民兵組織バシジにデモを鎮圧させた点で「カラー革命」とも、それらが一枚岩だった点で「ピープル・パワー革命」とも異なる。政治的変革を促す条件が整っていなかったのである。

 だが、今回、99年の学生デモなどとは比較にならないほど広範な層がデモに参加、強硬保守派と改革派の権力闘争も激化させた。イスラム法学者が主導する一種の政教一致体制の下で制約付きの選挙による民主主義を認めるという、矛盾を内包した79年イラン革命以来の体制がそろそろ限界に来ているのではないか。先に挙げた選挙不正がどれも体制末期に起きたことはその意味で示唆的である。

 「イラン劇場」の第1幕は下りた。いずれ、第2幕が上がる。(外信部長 西田令一)

 


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