2024/11/25 03:49 |
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2009/06/11 16:55 |
イスラム原理主義 |
イスラム原理主義(イスラムげんりしゅぎ)は、イスラム的な政治・国家・社会のあり方の実現を目指す政治的活動を指す「イスラム主義 Islamism」の諸運動、あるいはムスリム(イスラム教徒)の宗教的・政治的な急進主義派、過激派を指す、批判的ニュアンスのこもった呼称である。
一般にイスラム原理主義として非イスラム教徒によって理解されている運動は、コーラン(クルアーン)の無謬(むびゅう)を信じて厳密に字義どおり解釈し、預言者ムハンマドの時代のイスラム共同体を復興させようとするものである。
保守派ムスリムは、このような運動をイスラム復興と総称することもある。また日本の親イスラーム的研究者の間では、イスラームの理念を国家・社会に実現しようとする政治的な運動はイスラム主義と定義しており、「イスラム原理主義」の語を分析概念として用いるのは中立派若しくは対象に批判的な研究者の場合が多い。
ただし、近代におけるイスラムのあり方を見直す「イスラム改革主義」や、イスラームを政治的イデオロギーとして扱う政治的イスラムなど、同様の主義を表す社会的および政治的概念は多数提起されており、またこれらの概念同士の意味範囲も定かではない。 なお、前者にはムハンマド・アブドゥフやラシード・リダーなど、西欧近代への適応を説いた歴史的なイスラム思想家も多く含まれる。
一方で、他宗教や無宗教、無神論に対する凄まじい憎悪でも特徴付けられ、『イスラーム以外の宗教や無神論・無宗教は皆間違い、地獄に落ちる』などという主張を行う例もある。[1]
こういった硬直的とも言える思想を唱えた代表的思想家にはサイィド・クトゥブがいる。クトゥブは1960年代の現代エジプト社会を「ジャーヒリーヤ」(イスラム誕生以前の「無知蒙昧な」アラビア半島社会を指す)と形容し、イスラムによる急進的改革を訴えた。
「イスラム原理主義」は、「イスラム改革主義」者よりも、むしろクトゥブの唱えたような思想をまず連想させるものであると言える。しかしクトゥブらの思想は、社会主義・共産主義・自由主義・民族主義・国民主義など西欧近代思想を受容しつつも社会的・政治的不公平や敗北を重ねたイスラム世界(特にアラブ)に対する歴史的反応であったことを無視するべきではない[誰が?]。
日本語で言う「イスラム原理主義」は、アラビア語に関して言えば、単に「イスラム主義」(al-Islamiya)や「サラフ(羊毛)主義」(al-Sarafiya)と表現されることが多い。
一方で「イスラム原理主義」の呼称は、キリスト教における原理主義(fundamentalism)の「イスラム版」という意味合いで欧米の学者が用いたものであることから、日本語にそのまま適用するのは不適切とする説もある。
「イスラム原理主義」という日本語表現は、本来は、イラン革命などのイスラム法(シャリーア)による統治の復活を唱えるイスラム教徒による運動を指してアメリカなどで英語で「Islamic Fundamentalism」と呼んだものの日本語訳である。
Islamic Fundamentalism という語が用いられ、定着する以前においては、Fundamentalism(原理主義)という語はもっぱら、プロテスタントの中でも米国を中心とした一派で聖書に関して逐語霊感説をとり一字一句字義通りに理解し、千年王国の到来を固く信じる「Fundamentalist Christianity(ファンダメンタリスト・キリスト教)」、あるいは「Christian Fundamentalism(キリスト教根本主義)」を指した。ただし、日本のキリスト教界では「根本主義」という訳語が好まれており、「原理主義」というのは外部から用いられる呼称である。
イスラム教における宗教的な理念に基づく社会の実現を目指す運動は、イスラム教の共同体を原初の理想的な姿に回帰させることを志向しており、この点において、「千年王国」を強く意識したメシア信仰に基づく根本主義とは異なる[2]。
しかし、このようなイスラムにおける運動を、英語圏の人が英語によってとらえ、表現する際に、「宗教的な典範を第一原理とし、それをそのまま現実社会と結びつけようとする」という表象上の特色がキリスト教の根本主義に類似していることに着目し、「キリスト教の原理主義(根本主義) (Christian Fundamentalism)」と対比させて身近で直観的に理解されやすい「イスラム教の原理主義 (Islamic Fundamentalism)」の語が使われ始めたものである。
キリスト教文化を共有していないにもかかわらず、「原理主義」の語が取り入れられた日本では、とりわけマスコミで「イスラム原理主義者のテロリズム」という報道が行われたために、この語が「政府の転覆を図る狂信者」「宗教テロ」のイメージと繋がりやすく、極論すれば「イスラム信者=テロリスト」「イスラム教=殺しや暴力を正当化する邪教」という偏見のステレオタイプで見られる傾向まである[要出典]。これは、キリスト教原理主義の起こす北米の社会問題に比して、イスラム原理主義者に帰された国際テロ事件のほうが大きく、頻繁に報道される事による。
実際には、一般に「イスラム原理主義」として評価されることの多いワッハーブ主義を国是とするサウジアラビアが、穏健派の親米アラブ国家の代表格であるように、現実の政治の場では「イスラム原理主義=過激派」と単純にとらえることはできない。
このために、そもそもイスラム主義、イスラム復興運動の全体を上述のような偏見に結びつく原理主義の語で捉えることを批判するイスラム研究者も少なくない。特に、イスラム原理主義と広く呼ばれる範疇に属する運動は、イスラム社会の広い範囲で見られ、ムスリムの間で一定の影響力を持っていることから、「イスラム原理主義のテロ」といったような言葉であらわされる暴力的な活動が、広範なムスリムに指示されているようなイメージが先行する傾向があることが批判される[3]。
一方、社会学的観点からは1970年代頃から世界的に高まっている様々な宗教の宗教復興の動きを広く総称する用語として「原理主義」「ファンダメンタリズム」を定義し、イスラム教の復興を「イスラム圏における原理主義」として世界的潮流の一部と捉える見方が支配的になっており、イスラム研究の立場と異なる。
しかし、上述のような理由により「イスラム原理主義」という言葉の指し示す対象と範囲、その言葉の持つニュアンスについては、日常と学術の現場において「キリスト教原理主義」のそれよりもはるかに大きな乖離が発生しており、どのような立場に立つにせよ、その取り扱いに注意を要する。
1990年代頃から盛んに行われてきたイスラム研究者の発言は近年、日本の言論界やマスメディアにもある程度定着しており、「イスラム原理主義」の「過激派」が起こしたテロは「イスラム信者が起こしたテロ」「イスラム原理主義者が起こしたテロ」ではなく「イスラム過激派が起こしたテロ
」という表現が行われるようになってきた[4]。
一般にイスラム原理主義として非イスラム教徒によって理解されている運動は、コーラン(クルアーン)の無謬(むびゅう)を信じて厳密に字義どおり解釈し、預言者ムハンマドの時代のイスラム共同体を復興させようとするものである。
保守派ムスリムは、このような運動をイスラム復興と総称することもある。また日本の親イスラーム的研究者の間では、イスラームの理念を国家・社会に実現しようとする政治的な運動はイスラム主義と定義しており、「イスラム原理主義」の語を分析概念として用いるのは中立派若しくは対象に批判的な研究者の場合が多い。
ただし、近代におけるイスラムのあり方を見直す「イスラム改革主義」や、イスラームを政治的イデオロギーとして扱う政治的イスラムなど、同様の主義を表す社会的および政治的概念は多数提起されており、またこれらの概念同士の意味範囲も定かではない。 なお、前者にはムハンマド・アブドゥフやラシード・リダーなど、西欧近代への適応を説いた歴史的なイスラム思想家も多く含まれる。
一方で、他宗教や無宗教、無神論に対する凄まじい憎悪でも特徴付けられ、『イスラーム以外の宗教や無神論・無宗教は皆間違い、地獄に落ちる』などという主張を行う例もある。[1]
こういった硬直的とも言える思想を唱えた代表的思想家にはサイィド・クトゥブがいる。クトゥブは1960年代の現代エジプト社会を「ジャーヒリーヤ」(イスラム誕生以前の「無知蒙昧な」アラビア半島社会を指す)と形容し、イスラムによる急進的改革を訴えた。
「イスラム原理主義」は、「イスラム改革主義」者よりも、むしろクトゥブの唱えたような思想をまず連想させるものであると言える。しかしクトゥブらの思想は、社会主義・共産主義・自由主義・民族主義・国民主義など西欧近代思想を受容しつつも社会的・政治的不公平や敗北を重ねたイスラム世界(特にアラブ)に対する歴史的反応であったことを無視するべきではない[誰が?]。
日本語で言う「イスラム原理主義」は、アラビア語に関して言えば、単に「イスラム主義」(al-Islamiya)や「サラフ(羊毛)主義」(al-Sarafiya)と表現されることが多い。
一方で「イスラム原理主義」の呼称は、キリスト教における原理主義(fundamentalism)の「イスラム版」という意味合いで欧米の学者が用いたものであることから、日本語にそのまま適用するのは不適切とする説もある。
「イスラム原理主義」という日本語表現は、本来は、イラン革命などのイスラム法(シャリーア)による統治の復活を唱えるイスラム教徒による運動を指してアメリカなどで英語で「Islamic Fundamentalism」と呼んだものの日本語訳である。
Islamic Fundamentalism という語が用いられ、定着する以前においては、Fundamentalism(原理主義)という語はもっぱら、プロテスタントの中でも米国を中心とした一派で聖書に関して逐語霊感説をとり一字一句字義通りに理解し、千年王国の到来を固く信じる「Fundamentalist Christianity(ファンダメンタリスト・キリスト教)」、あるいは「Christian Fundamentalism(キリスト教根本主義)」を指した。ただし、日本のキリスト教界では「根本主義」という訳語が好まれており、「原理主義」というのは外部から用いられる呼称である。
イスラム教における宗教的な理念に基づく社会の実現を目指す運動は、イスラム教の共同体を原初の理想的な姿に回帰させることを志向しており、この点において、「千年王国」を強く意識したメシア信仰に基づく根本主義とは異なる[2]。
しかし、このようなイスラムにおける運動を、英語圏の人が英語によってとらえ、表現する際に、「宗教的な典範を第一原理とし、それをそのまま現実社会と結びつけようとする」という表象上の特色がキリスト教の根本主義に類似していることに着目し、「キリスト教の原理主義(根本主義) (Christian Fundamentalism)」と対比させて身近で直観的に理解されやすい「イスラム教の原理主義 (Islamic Fundamentalism)」の語が使われ始めたものである。
キリスト教文化を共有していないにもかかわらず、「原理主義」の語が取り入れられた日本では、とりわけマスコミで「イスラム原理主義者のテロリズム」という報道が行われたために、この語が「政府の転覆を図る狂信者」「宗教テロ」のイメージと繋がりやすく、極論すれば「イスラム信者=テロリスト」「イスラム教=殺しや暴力を正当化する邪教」という偏見のステレオタイプで見られる傾向まである[要出典]。これは、キリスト教原理主義の起こす北米の社会問題に比して、イスラム原理主義者に帰された国際テロ事件のほうが大きく、頻繁に報道される事による。
実際には、一般に「イスラム原理主義」として評価されることの多いワッハーブ主義を国是とするサウジアラビアが、穏健派の親米アラブ国家の代表格であるように、現実の政治の場では「イスラム原理主義=過激派」と単純にとらえることはできない。
このために、そもそもイスラム主義、イスラム復興運動の全体を上述のような偏見に結びつく原理主義の語で捉えることを批判するイスラム研究者も少なくない。特に、イスラム原理主義と広く呼ばれる範疇に属する運動は、イスラム社会の広い範囲で見られ、ムスリムの間で一定の影響力を持っていることから、「イスラム原理主義のテロ」といったような言葉であらわされる暴力的な活動が、広範なムスリムに指示されているようなイメージが先行する傾向があることが批判される[3]。
一方、社会学的観点からは1970年代頃から世界的に高まっている様々な宗教の宗教復興の動きを広く総称する用語として「原理主義」「ファンダメンタリズム」を定義し、イスラム教の復興を「イスラム圏における原理主義」として世界的潮流の一部と捉える見方が支配的になっており、イスラム研究の立場と異なる。
しかし、上述のような理由により「イスラム原理主義」という言葉の指し示す対象と範囲、その言葉の持つニュアンスについては、日常と学術の現場において「キリスト教原理主義」のそれよりもはるかに大きな乖離が発生しており、どのような立場に立つにせよ、その取り扱いに注意を要する。
1990年代頃から盛んに行われてきたイスラム研究者の発言は近年、日本の言論界やマスメディアにもある程度定着しており、「イスラム原理主義」の「過激派」が起こしたテロは「イスラム信者が起こしたテロ」「イスラム原理主義者が起こしたテロ」ではなく「イスラム過激派が起こしたテロ
」という表現が行われるようになってきた[4]。
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