2024/11/25 03:04 |
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2009/06/22 15:40 |
ムシャヒディンとは |
ムジャーヒディーン(مجاهدين mujāhidīn)とは、アラビア語で「ジハードを遂行する者」を意味するムジャーヒド(مجاهد mujāhid)の複数形。一般的には、イスラム教の大義にのっとったジハードに参加する戦士たちのことを指す。最近はイスラム過激派の民兵を指すことが多い。歴史的には、個々のムスリム(イスラム教徒)たちがジハードに対する意識を常にもっていたわけではなく、むしろ近代に至ってイスラム世界に対する侵略に対抗する民衆の抵抗運動において、ムジャーヒド意識が発揮されてきた。19世紀にインドで起こった対英ジハード「ムジャーヒディーン運動」は、その代表的なものである。
ソ連侵攻
ソビエト連邦が1979年にアフガニスタンに侵攻したことにより始まったソ連・アフガン戦争の際、パキスタンが支援したムスリムのゲリラたちは、自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラムを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。その代表的な組織が、ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが組織し、アフマド・シャー・マスードが軍事的に率いた「イスラム協会」や、グルブッディーン・ヘクマティヤールが率いる「イスラム党」であり、その他にも多くの軍閥が群雄割拠した。
アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、ウサーマ・ビン=ラーディンも若い時はこの志願兵の1人だったということが知られている。
アメリカもCIAを通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備(有名なものではスティンガー対空ミサイルなど)を提供していたが、東側の兵器に比べメカニズムが高度かつ高価であるため、損耗しても修理や補充がきかず次々に失われていったようである。ただし、西側製の装備は上掲のスティンガー [1] や通信機器 [2] など代替が難しいものに限られ、現実的にはAK-47やRPG-7など旧ソ連系の兵器 [3] が供与されていた。
尚、ムジャヒディンと言われる勢力には親ソ派もおり、人民ムジャヒディン(People's Mujahedin)がよく知られている。
脚注
1. ^ 当時、旧ソ連製のSA-7はカンボジア駐留ベトナム軍から多数流出しており入手は容易だったが、SA-7には航空機からのフレア放射で効果的に防御されてしまう欠点があり、駐留ソ連軍も早期にフレア投射による防御を行っていた事から、SA-7供与の効果は低いと考えられていた。
また、ムジャーヒディーンによって撃墜されたヘリは中国製の高射機関砲によるものが大半と言われており、熱源追尾機能が正常に動作するスティンガーも初期に供与された数本だけで、拡散を恐れた示威的な要素が大きい供与だったとも言われている。
2. ^ ムジャーヒディーンが装備した無線機や建設用重機、ピックアップ・トラックなどは、大半が日本製のものだった。
マスード司令官などは、根拠地としたパンジシール渓谷から産出する宝石や貴石などを、日本の甲府へ持ち込んで現金化し、日本でこうした装備を購入していた。
3. ^ これらの兵器は、ソ連と対立しながらソ連系兵器体系を保持していた諸国から調達されていた。
初期においては、北朝鮮から中東・アフリカのイスラム圏諸国へ輸出されたものが転売・供与されたものが多かったが、1982年頃から日本の対中援助で技術力・品質が一挙に向上した中華人民共和国の製品が増えた。
中東で唯一、ソ連系兵器を国産していたエジプトは、1981年にサダト大統領がイスラム原理主義者に暗殺され、国内でのテロ活動も頻発していたため、同じ原理主義者が多く参加していたムジャーヒディーンへの兵器供与には消極的だった。
ソ連侵攻
ソビエト連邦が1979年にアフガニスタンに侵攻したことにより始まったソ連・アフガン戦争の際、パキスタンが支援したムスリムのゲリラたちは、自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラムを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。その代表的な組織が、ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが組織し、アフマド・シャー・マスードが軍事的に率いた「イスラム協会」や、グルブッディーン・ヘクマティヤールが率いる「イスラム党」であり、その他にも多くの軍閥が群雄割拠した。
アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、ウサーマ・ビン=ラーディンも若い時はこの志願兵の1人だったということが知られている。
アメリカもCIAを通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備(有名なものではスティンガー対空ミサイルなど)を提供していたが、東側の兵器に比べメカニズムが高度かつ高価であるため、損耗しても修理や補充がきかず次々に失われていったようである。ただし、西側製の装備は上掲のスティンガー [1] や通信機器 [2] など代替が難しいものに限られ、現実的にはAK-47やRPG-7など旧ソ連系の兵器 [3] が供与されていた。
尚、ムジャヒディンと言われる勢力には親ソ派もおり、人民ムジャヒディン(People's Mujahedin)がよく知られている。
脚注
1. ^ 当時、旧ソ連製のSA-7はカンボジア駐留ベトナム軍から多数流出しており入手は容易だったが、SA-7には航空機からのフレア放射で効果的に防御されてしまう欠点があり、駐留ソ連軍も早期にフレア投射による防御を行っていた事から、SA-7供与の効果は低いと考えられていた。
また、ムジャーヒディーンによって撃墜されたヘリは中国製の高射機関砲によるものが大半と言われており、熱源追尾機能が正常に動作するスティンガーも初期に供与された数本だけで、拡散を恐れた示威的な要素が大きい供与だったとも言われている。
2. ^ ムジャーヒディーンが装備した無線機や建設用重機、ピックアップ・トラックなどは、大半が日本製のものだった。
マスード司令官などは、根拠地としたパンジシール渓谷から産出する宝石や貴石などを、日本の甲府へ持ち込んで現金化し、日本でこうした装備を購入していた。
3. ^ これらの兵器は、ソ連と対立しながらソ連系兵器体系を保持していた諸国から調達されていた。
初期においては、北朝鮮から中東・アフリカのイスラム圏諸国へ輸出されたものが転売・供与されたものが多かったが、1982年頃から日本の対中援助で技術力・品質が一挙に向上した中華人民共和国の製品が増えた。
中東で唯一、ソ連系兵器を国産していたエジプトは、1981年にサダト大統領がイスラム原理主義者に暗殺され、国内でのテロ活動も頻発していたため、同じ原理主義者が多く参加していたムジャーヒディーンへの兵器供与には消極的だった。
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