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中東観察

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2009/07/29
16:51
アフガン英兵死者イラク戦を上回る 今月は月間最悪数 191人、高まる撤退論

2009年7月29日 朝刊

 【ロンドン=星浩】アフガニスタン作戦での英兵の戦死者が27日、今月だけで22人に上り、2001年にアフガンでの戦闘に参加して以来、月間最 多の死者数となった。28日付英紙インディペンデントの最新の世論調査では、52%が即時撤兵を要求しており、労働党政権は苦境に陥っている。

 開戦以来の英兵の死者数は二十七日現在で百九十一人。既に撤退したイラクでの百七十九人を上回った。

 英軍はアフガンに展開する英兵約九千人の三分の一を投入したタリバン掃討作戦を先月十九日から南部ヘルマンド州で実行。作戦は成功裏に終わったとしているが、「これ以上の大規模作戦は増兵なしには無理」(英軍幹部)という。

 インディペンデント紙の世論調査では58%が「アフガン戦争で勝利はない」と厳しい見方を示しており、政府は即時撤兵論の急速な高まりに神経をとがらせている。

 ミリバンド外相は二十七日に北大西洋条約機構(NATO)本部で「英国民は、各加盟国がアフガン作戦に応分の関与をする構えがあるのか知りたがっ ている」と焦燥感もあらわに増派を要求。アフガン政府に対しても、タリバン穏健派を取り込むなど政治的解決に「もっと責任を持つべきだ」と要求した。


▼英兵の死者がイラク戦を上回ると,一体何度言っているのやら,
過去の戦闘と死者数を比較して撤退すべし!というのはメディアの意見
もしくは実際に息子や娘を亡くしているシビリアンの意見だろう.
国家としては冷静にどうなんでしょう.それにしても個人的にはイギリス人ばかり
殺しすぎていると思う.

 


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2009/07/29
16:45
中国、イランの核に対する米国の懸念を共有=米国務長官

Photo

 [ワシントン 28日 ロイター] クリントン米国務長官は28日、イランの核開発疑惑とそれが中東を不安定化させる影響について、中国は米国が抱いている懸念を共有しているとの認識を示した。

 米中戦略・経済対話閉幕後の会見で長官は「中国は、イランが核兵器保有国になることに対するわれわれの懸念を共有している。それが中東と湾岸地域を不安定化させる可能性についても、中国はわれわれと同様な見解を示している」と述べた。




▼米中が懸念の共有とは珍しい.無知な当方にはその理由が
わからないが.

2009/07/29
16:42
イラク首相、賠償支払い停止要求 クウェートと新たな緊張

 オバマ米大統領とイラクのマリキ首相はワシントンで22日、経済協力や貿易面における両国間の関係強化に重点を置いた話し合いを行った。

イラク都市部駐留の米軍部隊が先月末に撤退して以降、初めて開催された今回の首脳会談でマリキ首相は、クウェート侵攻後に国連がイラクに科した制裁解除 も強く求めた。イラクは総額250億ドル(約2兆3750億円)超の戦後賠償として、毎年、石油収入の5%をクウェートに支払うことが義務付けられてい る。同首相は国連安全保障理事会の加盟国への陳情にも訪れ、制裁の根拠とされる国連憲章第7章に基づくイラクへの管理を終わらせるよう求めた。

この問題はここ数週間、イラクとクウェートの間に新たな緊張をもたらしている。オバマ大統領はマリキ首相に対し、民族和解へ向けた行動を進め、国内の境界線をめぐる争いに決着をつけるとともに、石油収入の配分にかかわる問題解決を要求した。

クウェートの強硬な反対に逆らってまで、イラクに対する制裁を年内に終わらせることはないだろう。キルクークの地位に関する問題など国内には難題が山積 しており、争いを避けるために棚上げしている問題もある。比較的安定した現状を維持するにはすべての者が歩み寄るしかないが、今はまだそのような兆しは見 えてこない。

2009/07/29
16:41
イラン反体制派の基地制圧=衝突で260人負傷-イラク

 【カイロ時事】イラクからの報道によると、同国治安部隊や警官隊は28日、首都バグダッド北方にあるイランの反体制組織ムジャヒディン・ハルク(イスラム人民戦士機構、MKO)のキャンプを急襲し制圧した。衝突で260人以上が負傷したという。
MKO側がバリケードを構築するなどして抵抗したため、治安部隊が突入した。イラク政府報道官は「本日より政府の管理下に置かれた」と制圧を宣言した。
米国などがテロ組織に指定するMKOのキャンプは、イランと戦火を交わした当時のフセイン政権が1980年代に設置。MKO支持者や家族ら約3500人が居住している。(2009/07/29-06:27)

▼一体どれくらいの規模で行われた戦闘なんだろうか,ムジャヒディン制圧か.


2009/07/29
16:36
旅:オスマン建築を堪能 トルコ

 東西文明の十字路、トルコには華々しい文化の歴史がある。イスタンブールの街並みは、ローマ帝国やオスマン帝国の栄華をしのぶ壮麗な建築物に彩ら れている。天を刺すように伸びるミナーレ(尖塔(せんとう))、高いドーム型の天井、幾何学模様の美しいタイル……。偶像崇拝を禁じたイスラム教の下、芸 術家は建物に情熱を燃やした。16世紀に活躍したトルコ最高の建築家、ミマール・シナン(推定1489~1588)の足跡をイスタンブールとエディルネに 訪ねた。【藤田祐子】

 ◇天を突く尖塔、壮観 帝国最盛期の巨匠・シナン設計 栄華表すモスク、宿

 「シナンを知らないトルコ人はいません。最も尊敬する建築界の先人で、大学に『シナン研究』という専門分野があるほどです」

 日本留学の経験があるトラキア大学の建築研究者、ジャンダン・ズルフィカルさん(37)が言う。ミマールはそのまま「建築家」の意で、ルネサンス芸術の建築家で画家で彫刻家だったミケランジェロ(1475~1564)とほぼ同時代を生きたのは偶然か。

 数奇な生涯の偉人だ。元々はキリスト教徒で、皇帝直属の軍人を育てるオスマン帝国独特の「イエニチェリ」で頭角を現す。そこで、スレイマン大帝に 見いだされ、40代後半で宮廷建築家に任命された。90代半ば(推定)で亡くなるまでに、宮殿、モスク、神学校、霊廟(れいびょう)、隊商宿(キャラバン サライ)、ハマム(大浴場)など400以上の建造物を手がけたと伝わる。日本語ガイド歴13年のディレッキ・ケキリッキさんが「ぜひ見てもらいたいモスク です」と話し、リュステム・パシャ・モスクに案内してくれた。

 日用品やスパイスが並ぶエジプトバザールの喧騒(けんそう)を抜けて階段を上ると、静かな空間が広がった。スレイマン大帝の宰相リュステム・パシャのため、シナンが1561年に設計したモスクだ。

 内壁は幾何学模様のタイルで埋め尽くされ、青く輝いている。チューリップやカーネーションなどをモチーフにシナンがデザインしたという。ディレッ キさんがささやいた。「現在の技術では発色できません。スレイマン大帝のため建設したスレイマニエ・モスクが有名で、その習作ともいわれます。でも、細部 すべてに気が配られ、シナンの素晴らしさが分かる。私はここが一番好きです」

 天窓からの柔らかな光に包まれて、男性が1人、じゅうたんにひざまずいてこうべを垂れていた。

    □

 イスタンブールを離れ、1365年から約100年間、オスマン帝国の都が置かれた古都エディルネへと向かった。ギリシャ国境から5キロ、ブルガリ ア国境から10キロに位置し、今も昔もギリシャ、ブルガリアからの玄関口だ。中心街には、今もホテルとして営業するリュステム・パシャ・キャラバンサラ イ、16世紀のソクルル・ハマムなどシナン設計の歴史的建築物が目に付く。目抜き通りには、物憂げな表情でひざをつくシナンの銅像が立っていた。

 シナン自身が「自分の最高傑作」と評した代表作がセリミエ・モスクだ。4本の尖塔は、町のどこからも目に入る。1569年、スレイマン大帝を継い だセリム2世の命だった。シナンは80歳を超えていたが、アヤソフィア大聖堂(537年完成)の大ドーム(直径31メートル)を超えるドームを建てる夢を 描いた。6年がかりで、8本の柱が半円形の天井(直径31・5メートル)を支えるモスクが完成した。

 「完成当時は世界最大のモスク。今もトルコの誇りです」とジャンダンさん。中庭には、金曜礼拝のために大勢の家族連れがいた。異教徒の観光客にもほほえみ、日陰へと手招きしてくれた。

    □

 イスタンブールに戻った最終日、グランドバザールから歩いてシナンの霊廟を目指した。セリミエ・モスク完成後、90歳近いシナンが自分のために設 計したとされる。スレイマニエ・モスク近くの路地裏にある飾り気のない大理石のたたずまいに、オスマン帝国の最盛期を生きた希代の建築家を思った。

 ◇バザールに輝く甘い宝石「ロクム」

 オスマン帝国時代からの伝統菓子が「ロクム」。間口の小さな専門店のショーケースいっぱいに輝いていたり、バザールでは黄金色の照明に宝石のようにきらめいている。

 19世紀の英国人が「ターキッシュ・ディライト(トルコの歓喜)」と名付けて持ち帰り、ヨーロッパに広まった。英児童文学「ナルニア国物語」で は、魔女が子どもを誘惑する重要なシーンに登場し、4きょうだいの次男はその甘い魔力にとらわれてしまう(日本語版ではプリンに置き換えられている)。

 砂糖をまぶした小さなかけらを口に含むと、もっちりとした感触と淡い甘さが広がる。なんだか妙に懐かしい。和菓子のぎゅうひに似ている。同行の日本人が「これは……ゆべしだ!」とうれしそうな声を上げた。

 イスタンブールで訪れたいのはグランドバザールだ。工芸品、食料品など4000店以上が軒を連ねる。手描きの伝統陶器を扱う店に入ったら、店主が ふた付きの皿を差し出した。そこにはロクムが盛られていた。「客人に甘いロクムをふるまうのはオスマン時代からの伝統。『仲良くしましょう(甘い言葉を交 わしましょう)』という意味さ」と笑った。甘さは客人を歓待する心意気の象徴でもあるらしい。

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 ◇成田、関空から直行便

 日本からイスタンブールへは成田空港から週4便、関西空港から週3便、トルコ航空と全日空が共同運航する直行便がある。両国政府の航空当局間協議 で輸送拡大が決まり、来年3月下旬からは、成田-イスタンブールが週6便に増える見込み。関空便の増便や中部空港への就航も期待される。

 日本と同様に四季があり、観光シーズンは春~秋(4~10月)。夏は欧米のバカンス客が多い。トルコ政府観光局によると、日本からトルコへの観光 客は2005年に初めて10万人を超え、06年12万5755人、07年16万8852人と増加。トルコへの観光客全体に占める日本人の割合は0.7% (07年)。


▼親日トルコは是非一度行ってみたい国の一つ.

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