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中東観察

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2009/06/18
11:56
ヘブロンとは

ヘブロン(Hebron, chebhron, アラビア語: لخليل‎, al-Ḫalīl)は、パレスチナヨルダン川西岸地区に位置する都市である。

エルサレムの南に位置するユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の聖地の一つ。

ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の祖であるアブラハム(イブラーヒーム)の墓がある。旧約聖書によれば、この地はアブラハムがエジプトから逃れ、銀400シェケルで初めて手に入れた土地であるとされている。この墓所のあるマクペラの洞穴は、ユダヤ教だけでなくイスラーム教でも聖所とされており、建物の内部で二分されている。

1929年に暴徒化したアラブ人によるユダヤ人67名の虐殺、1994年のユダヤ教過激派の青年によるイブラーヒーミー・モスクで起きた銃乱射事件で29人のパレスチナ人が死亡するなど、宗教・民族対立における惨劇の舞台でもある。

ヘブロンはイスラエル建国以降ヨルダン領であったが、1967年の第三次中東戦争にてイスラエル領に併合された。 併合後は、1929年にアラブ人によって追放されたユダヤ人の元住民が戻り始め、郊外にキリヤト・アルバ(Kiryat Arba)入植地を建設。以来ユダヤ人の入植が続く。しかし、1980年に6人の入植者がパレスチナ人に銃撃されたのを契機に、時のイスラエル政府はイブラーヒームの聖廟近くに住むパレスチナ人を追放して、代わりにユダヤ人入植者を住まわすことで報復した。

1997年のヘブロン合意により80パーセントをパレスチナ自治政府の治安部隊が、20パーセントの入植地をイスラエル軍管理下に置くことで合意した。 

近年、ユダヤ教極右の入植者とパレスチナ・アラブ人住民との間で、深刻な住民対立が起きている。1994年2月25日、ユダヤ人入植者によるパレスチナ人礼拝者へのテロ事件があり、29人が殺された(マクペラの洞窟虐殺事件)。実行犯はその場で殺害されたが、イスラエル兵による発砲もあり(イスラエル側は否定)、総犠牲者は50人とも60人とも言われている。

その後、国連安全保障理事会の勧告を受け、ノルウェーなどがヘブロン暫定国際監視団(Temporary International Presence in Hebron、TIPH 外務省はヘブロン暫定国際プレゼンスと訳している)を設立。国際社会の介入を嫌うイスラエルも受け入れた。5月8日にヘブロン入りした。ヘブロンではユダヤ人入植者による、パレスチナ人を追い出そうとする暴力や嫌がらせが後を絶たないため、国際監視団はこれを監視し、抑制するのが任務である。国際監視団は非武装で、強制力はないが、外部の目を光らせることで、抑止効果を期待している。ノルウェーの他、スウェーデン、デンマーク、スイス、イタリア、トルコより監視員を派遣している。2002年3月27日には何者かに監視員2名が殺され、国連のコフィー・アナン事務総長は非難声明を出した(イスラエル軍はパレスチナ過激派の犯行と見ているが、パレスチナ側はこれを否定。ロイター通信が伝える病院関係者の話によれば、監視員を殺害した銃弾は、イスラエル軍のものだったという)。2006年には、ムハンマド風刺漫画掲載問題の余波で事務所にパレスチナ人らの投石を受け、一時避難していた。その後、再びヘブロンに戻り、監視活動を続けている。

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