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2009/07/18 16:39 |
ヨルダン川西岸地区 |
ヨルダン川西岸地区
الضفة الغربية
יהודה ושומרון
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位置
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ヨルダン川西岸地区
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座標:
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行政
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自治政府 | パレスチナ |
地区 | ヨルダン川西岸地区 |
中心都市 | ラマッラー |
最大都市 | ラマッラー |
人口 | 人 |
その他
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等時帯 | 世界標準時 (UTC+2) |
夏時間 | 夏時間 (UTC+3) |
ヨルダン川西岸地区(ヨルダンがわせいがんちく、アラビア語: الضفة الغربية、ヘブライ語: יהודה ושומרון)は、ヨルダンとイスラエルの間に存在し、現在パレスチナ自治区の一部を形成するヨルダン川より西部の地域のこと。
概説
1948年の第一次中東戦争後半に、ヨルダンによって占領され、1950年には、ヨルダンから東エルサレムを含む地域を併合という形にされた。同地区は1967年までヨルダンの一部を構成していたが(国際的には認められていなかった)、1967年の第三次中東戦争でイスラエル軍によって占領される。ヨルダンは1994年領有権を放棄した。現在、同地区はイスラエル軍とパレスチナ自治政府によって統治され、ガザ地区と共にパレスチナ自治区を形成する。
幾人かの人々、とくにイスラエル人の入植と東エルサレムの併合を支持する人々は、「ユダヤ・サマリア」と呼ぶことを好む。また、フランス語などではシスヨルダンと呼ばれる。
ヨルダン川西岸地区は、国際連合からイスラエル占領地として考えられるが、幾人かのイスラエル人と様々なグループは「占領された」よりも「議論される」地域という用語を好んで使用する。ヨルダン川西岸地区にはアラブ人、ユダヤ人および他の少数民族グループが居住している。同地区に暮らす大多数のアラブ人は、第一次中東戦争でイスラエルから避難した「パレスチナ難民」あるいはその直接の子孫である。
東エルサレムの取り扱い
東エルサレムの現状は、論争の的となっている。東エルサレムは、ヨルダン川西岸地区を形成する一部として考えられていたが、東エルサレムが併合され た現在、イスラエルはヨルダン川西岸地区の一部としては考えていない。しかしながら、併合は、現在国際的に認められていない。日本の地図では、イスラエル とヨルダン間の領土抗争地・未確定領域と扱われることが多い(ただし、1994年に結ばれたイスラエルとヨルダンの平和条約では、ヨルダンは同地を放棄し ている為、正確には誤りである。恐らくイスラエルと川西岸の間のみに未確定国境を引くと、西岸地区をイスラエル領と誤解を与える可能性があるので、わざと ヨルダンとの抗争地域扱いにしていると思われる)。
いずれの場合も、その重要性から、ヨルダン川西岸地区とはしばしば別個に取り扱われる。一例として、オスロ合意は、他のパレスチナ領域と別個の問題として、東エルサレムを取り扱う。
関連項目
外部リンク
- ヨルダン川西岸地区、CIA World Factbook
- Palestine Facts & Info from Palestinian Academic Society for the Study of International Affairs
- Legal Status of West Bank, Gaza and East Jerusalem (View supports Israel's claims
- The Legal Status of Palestine Under International Law (View supports Palestinian claims
- United Nations - Question of Palestine
- Disputed Territories: Forgotten Facts about the West Bank and Gaza Strip - from the Israeli government
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