2024/11/25 04:07 |
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2009/06/09 23:57 |
現代のイスラム教を巡る諸問題 |
イスラム教徒が多数派の国、あるいは無視できない規模の少数民族である国に、また欧米などの先進国におけるイスラム教徒の移民やその子孫が起こす宗教問題など現在議論されている問題をここで述べる。またイスラム教徒が多数派の国でも国の実権を握る軍部(トルコやアルジェリア)や政党(バアス党)などがシャリーアを施行していない場合はこれらの国はイスラーム国家ではない。またイスラム教徒が多数派でなくとも一部の州で多数派を形成する場合はシャリーアがその州だけ適応される場合がある。
政治的問題
詳細はイスラーム主義、イスラーム原理主義をそれぞれ参照
イスラームの項目でもあるように、「イスラム教は宗教的理念のみならず、民間の慣習や政治に深く関わっている。そのため、政教分離を特徴とするシステムとイスラーム的なシステムは相矛盾する」という主張がある。これは伝統的社会秩序を維持したい保守派ムスリムによって主張されることが多い。そのためどの程度折り合いをつけるかが、20世紀以来のイスラーム社会の大きな問題となってきた。
多くの国は、政教分離原則と保守的イスラムの間で融和を図ろうとしているが、こうした姿勢自体に対する反発も根強い。いわゆる「イスラム原理主義」、あるいは政治的運動としてのイスラーム主義は、こうした改革に反対し、可能な限り保守的イスラームの伝統、クルアーンの教えにのっとらねばならないと主張する。しかし、世界経済の進展や、国際社会に対する欧米諸国の国力の圧倒的な優位のもとではイスラーム主義的な主張は多くの困難を抱えており、武力を行使してまで理想の実現をはかる人々も少なからずあらわれる。ホメイニーが指導するイラン革命やアフガニスタンのターリバーンがそれである。
また、中東戦争など、ムスリムが大多数を占める国々に対する欧米諸国の介入を目にして、欧米のキリスト教社会がイスラーム社会を圧迫し、蹂躙していると構図でとらえるムスリムは多い。にもかかわらず、イスラーム諸国は国際的な発言力が大きいとはいえないし、イスラーム諸国の中に強い影響力を持つエジプトやサウジアラビアなどが親米・欧米協調路線をとっているため、イスラーム諸国はしばしばイスラーム社会が「被害者」となる情勢に対して無力である。これらのことが、イスラーム社会の多くの民衆に反欧米感情とともに、自国政府の「同胞の危機に対する無力」に対する失望・不満を鬱積させることになっていて、暴力によって欧米社会の圧力を排除しようとする過激派(アルカーイダ、ジェマ・イスラミアなど)の誕生のひとつの要因になっている、との見方もある。
現代国際社会の普遍的価値観との相克
イスラム教国に於ける、若しくはイスラム教国以外でもムスリムで構成される社会に於ける人権侵害などはしばしば反イスラーム主義的傾向を持つ立場の人々からイスラーム自体の欠陥として攻撃されることがある。また、アッバース朝の時代にほぼ固まったイスラーム法を遵守する結果、その後の社会情勢の変化に対する柔軟な対応を欠くようになったという主張も根強い[12]。
指摘される人権侵害は、非ムスリム男性とムスリム女性の結婚の妨害[13]、強制改宗[14]、人体の切断を伴うハッド刑、非ムスリムのイスラーム圏での待遇[15]、離教の妨害[16]、同性愛者への差別[17]などである。また宗教多元主義者からは、ムスリムの中の宗教的エスノセントリズム[18][19]が他宗教における同種のイデオロギー同様厳しく批判されている。
一方で、イスラーム社会の内部では、イスラームの伝統の名のもとに行われてきた慣習や法を、イスラームの教えの解釈の適用変更によって改善すべきだという主張や、イスラームと人権などの価値観、政教分離原則は共存可能である、あるいはイスラームは本来人権を尊重する教えである、といった言説も見られる。
しかしその一方で、これらの人権侵害を『イスラームの善き教え』、『アッラーフのお定めになった道』として熱烈に擁護するムスリムも一定数存在している。[20][21]
現代でもイスラーム法に厳格に基づく刑罰が行われている国もあり、サウジアラビアやイラン革命後のイラン、ターリバーン時代のアフガニスタンなどでは、イスラーム法を厳格に適用した結果、国際社会から人権侵害として憂慮された事例が報告されている。イランでは、道徳裁判所の判決が人権を無視していると伝えられることが頻繁に起こっている。サウジアラビアでは、窃盗の罪で手を切り落とす刑罰が実施されていると伝えられている。
しかし一方で、イスラム教徒が圧倒的多数を占める国でありながら、死刑を廃止した国(トルコ・セネガルなど)、廃止されていないもののほぼ執行停止状態にある国(アルジェリア・チュニジア・モロッコなど)も存在する。イスラム圏全域で厳格なイスラーム法の適用が行われているわけではない。このことから、一部の事例だけを挙げてイスラム教全体を判断するのは偏見に基づいたものなのではないかという批判もある。ただしこれらの国では世俗主義をかかげる政府側がイスラム教と対立している状態にある。トルコやアルジェリアではイスラム教を掲げる政党が政府あるいは実権を握る軍部から弾圧されている。
イスラームの刑罰に対する考えは、厳格一辺倒ではない。イスラーム世界の統治論の古典である『アルファフリー』の著者イブン・アッティクタカーは、死刑存置論者であり、この書物においても死刑の適切な使用は認められるとしている[22]が、しかし同時に『王者は死刑を命じて、人命を奪うことに関しては慎重であるべきだ。』『死刑とは、この世にもはやその生き物の生命が残らない事件である』と断言し[23]、更に失った命は決して取り戻すことができないことを述べ[24]、死刑にあたっては事実をよく取り調べ、且つ他の方法がないか熟慮すること、そして死刑にせざるをえない場合も、決して四肢切断のような残虐な殺し方はせず、苦しまず慈悲深い死刑法を選択すべきと述べている[25]。彼は死刑を避け、人命を尊ぶために、イスラーム法の姦通罪死刑規定により処刑された男に関するムハンマドのハディースを挙げ、ムハンマドは最終的に彼を死刑にせざるを得なかったが、それを避けるための努力を尽くした後だったことを指摘している[26]。そして、死刑と同様の効果を持ち、人命を奪わない永久禁固の有用性を説いている[27]。
全体的な趨勢としては、社会の都市化・近代化が進んだ地域では、イスラームの教えを根拠とする価値観が薄らぎやすい傾向があるとされる一方、都市化・近代化で伝統的な共同体が破壊された結果、人々がアイデンティティの拠りどころをイスラーム的な価値観に求め、生活を再び保守化する傾向があるとされている。特にトルコなどでは田舎から都市部へ流れた労働階級の宗教的保守化は現在の政情に大きな影響を与えている。しかし、保守的なイスラム教徒といえども、現代社会の価値観と全く無縁に生活するというわけにはいかないため、彼らも一定程度は現代社会の価値観を受け入れる動きを見せている。
信教の自由とシャリーアとの矛盾
詳細はズィンミー、イスラーム国家、イスラム教における棄教をそれぞれ参照
現代社会においては、特定の宗教を奉ずる宗教国家もしくは共産主義国などの無神論国家などが、特定の宗教的信条を擁護し、他を迫害してきたこと、それにより宗教を理由とした戦争も起こったことなどを踏まえ、先進諸国の多くで信教の自由が承認されている。国際人権宣言などでも、信教の自由は国家が人間に保障するべき最重要の権利のひとつとして位置づけられている。
しかしイスラーム法(シャリーア)はこのようなコンセンサスが出来上がる以前、いまだに宗教的エスノセントリズムが常識であった時代の法体系である。そのためシャリーアにはムスリムに対しイスラームの絶対的優越に基づく統治を促し、その領域内の異教徒や無神論者をムスリムの下に置くことを義務付ける部分が存在している。彼らはズィンミーとして一定の権利保障を得るが、イスラームに改宗しないかぎりさまざまな差別を受け、宗教的実践にも一定の制限がついていた。また、ムスリムがイスラームを離脱することは背教罪として死刑となるのが原則だった。(ハナフィー学派のみ他国への追放という別解釈)
そのためイスラーム法に基づく国家体制は必然的に、現代国際社会において要求される完全なる信教の自由と平等という原則と衝突することになる。
ただし、例外的な事例として、前近代イスラーム世界においては、インドのムガール帝国に一時期見られたように、異教徒に対して積極的な寛容策がとられた事例が知られている。
現代のイスラーム教徒多数派の国の中には、世俗主義を信奉しシャリーア法を廃止または制限して伝統的なイスラム勢力と対立関係、あるいは内戦状態にある国、(トルコ、アルバニア、アルジェリア、シリア、インドネシア等)から、イスラーム法を適用し、異教徒を従属的な地位に置く国(パキスタン、アフガニスタンなど)、更には支配者の定めるイスラームの宗派以外は、イスラーム教の他宗派も含めてその信仰を認めない国(サウディアラビア)まで存在している。
一般的に言って、イスラム教が優勢な社会でも多民族国家の場合は異教徒に対しては比較的穏健・寛容な政策がとられることが多い。多民族国家では、必然的に宗教も多様となり、相互の信仰を認め合い、批判を控えるような態度をとらなければ、それは内乱などの社会不安の原因となってしまうからである。例えば、世界最大のイスラム国家であるインドネシアでは、「建国五原則」の中でイスラーム以外の宗教を尊重することを掲げており、イスラム教のみならず、仏教・キリスト教・ヒンドゥー教を公認している。これには、インドネシアの民族・宗教の多様性が深く影響している。
他宗教に対してはその時代や地域によって様々な政策がとられていて、寛容な社会も存在するにも関わらず、厳格で偏狭な国や地域ばかりを取り上げて、イスラム教は信仰の自由を認めないなどとする言説には問題があると言える。
同性愛者の人権
詳細はイスラーム世界の少年愛、イスラーム教徒による性的マイノリティー迫害をそれぞれ参照
現代においてイスラーム世界における性的少数者、中でも同性愛者に対する扱いは劣悪であるとされている。多くの国で彼らは「神の道に反した」行いに耽っている「堕落」したものたちと見られている。とりわけシャリーアを施行するイスラーム国家では、同性愛は「ハラーム」であるとされており、刑事罰に処されることも少なくない。
例を挙げれば、シーア派の法学者による統治が敷かれているイランでは、刑法で「ソドミー罪」が定められており、同性同士のセックスを行ったと確認されたばあい死刑に処される[28]。スンナ派の下位セクトであるワッハーブ派のシャリーアによって統治されるサウディアラビアでも同様である。
しかしイスラームの歴史を紐解けば容易に理解できるように、前近代イスラーム世界においては性的少数者に対する寛容の精神が根付いていた地域も少なくなかった。詩集のなかにも同性セックスのすばらしさを謡った詩が少なくない。また現代でもイスラーム教徒の中には同性愛をはじめとする性的少数者への差別に反対している人物(同性愛、非同性愛含め)も少なくないのも紛れもない事実である。
政治的問題
詳細はイスラーム主義、イスラーム原理主義をそれぞれ参照
イスラームの項目でもあるように、「イスラム教は宗教的理念のみならず、民間の慣習や政治に深く関わっている。そのため、政教分離を特徴とするシステムとイスラーム的なシステムは相矛盾する」という主張がある。これは伝統的社会秩序を維持したい保守派ムスリムによって主張されることが多い。そのためどの程度折り合いをつけるかが、20世紀以来のイスラーム社会の大きな問題となってきた。
多くの国は、政教分離原則と保守的イスラムの間で融和を図ろうとしているが、こうした姿勢自体に対する反発も根強い。いわゆる「イスラム原理主義」、あるいは政治的運動としてのイスラーム主義は、こうした改革に反対し、可能な限り保守的イスラームの伝統、クルアーンの教えにのっとらねばならないと主張する。しかし、世界経済の進展や、国際社会に対する欧米諸国の国力の圧倒的な優位のもとではイスラーム主義的な主張は多くの困難を抱えており、武力を行使してまで理想の実現をはかる人々も少なからずあらわれる。ホメイニーが指導するイラン革命やアフガニスタンのターリバーンがそれである。
また、中東戦争など、ムスリムが大多数を占める国々に対する欧米諸国の介入を目にして、欧米のキリスト教社会がイスラーム社会を圧迫し、蹂躙していると構図でとらえるムスリムは多い。にもかかわらず、イスラーム諸国は国際的な発言力が大きいとはいえないし、イスラーム諸国の中に強い影響力を持つエジプトやサウジアラビアなどが親米・欧米協調路線をとっているため、イスラーム諸国はしばしばイスラーム社会が「被害者」となる情勢に対して無力である。これらのことが、イスラーム社会の多くの民衆に反欧米感情とともに、自国政府の「同胞の危機に対する無力」に対する失望・不満を鬱積させることになっていて、暴力によって欧米社会の圧力を排除しようとする過激派(アルカーイダ、ジェマ・イスラミアなど)の誕生のひとつの要因になっている、との見方もある。
現代国際社会の普遍的価値観との相克
イスラム教国に於ける、若しくはイスラム教国以外でもムスリムで構成される社会に於ける人権侵害などはしばしば反イスラーム主義的傾向を持つ立場の人々からイスラーム自体の欠陥として攻撃されることがある。また、アッバース朝の時代にほぼ固まったイスラーム法を遵守する結果、その後の社会情勢の変化に対する柔軟な対応を欠くようになったという主張も根強い[12]。
指摘される人権侵害は、非ムスリム男性とムスリム女性の結婚の妨害[13]、強制改宗[14]、人体の切断を伴うハッド刑、非ムスリムのイスラーム圏での待遇[15]、離教の妨害[16]、同性愛者への差別[17]などである。また宗教多元主義者からは、ムスリムの中の宗教的エスノセントリズム[18][19]が他宗教における同種のイデオロギー同様厳しく批判されている。
一方で、イスラーム社会の内部では、イスラームの伝統の名のもとに行われてきた慣習や法を、イスラームの教えの解釈の適用変更によって改善すべきだという主張や、イスラームと人権などの価値観、政教分離原則は共存可能である、あるいはイスラームは本来人権を尊重する教えである、といった言説も見られる。
しかしその一方で、これらの人権侵害を『イスラームの善き教え』、『アッラーフのお定めになった道』として熱烈に擁護するムスリムも一定数存在している。[20][21]
現代でもイスラーム法に厳格に基づく刑罰が行われている国もあり、サウジアラビアやイラン革命後のイラン、ターリバーン時代のアフガニスタンなどでは、イスラーム法を厳格に適用した結果、国際社会から人権侵害として憂慮された事例が報告されている。イランでは、道徳裁判所の判決が人権を無視していると伝えられることが頻繁に起こっている。サウジアラビアでは、窃盗の罪で手を切り落とす刑罰が実施されていると伝えられている。
しかし一方で、イスラム教徒が圧倒的多数を占める国でありながら、死刑を廃止した国(トルコ・セネガルなど)、廃止されていないもののほぼ執行停止状態にある国(アルジェリア・チュニジア・モロッコなど)も存在する。イスラム圏全域で厳格なイスラーム法の適用が行われているわけではない。このことから、一部の事例だけを挙げてイスラム教全体を判断するのは偏見に基づいたものなのではないかという批判もある。ただしこれらの国では世俗主義をかかげる政府側がイスラム教と対立している状態にある。トルコやアルジェリアではイスラム教を掲げる政党が政府あるいは実権を握る軍部から弾圧されている。
イスラームの刑罰に対する考えは、厳格一辺倒ではない。イスラーム世界の統治論の古典である『アルファフリー』の著者イブン・アッティクタカーは、死刑存置論者であり、この書物においても死刑の適切な使用は認められるとしている[22]が、しかし同時に『王者は死刑を命じて、人命を奪うことに関しては慎重であるべきだ。』『死刑とは、この世にもはやその生き物の生命が残らない事件である』と断言し[23]、更に失った命は決して取り戻すことができないことを述べ[24]、死刑にあたっては事実をよく取り調べ、且つ他の方法がないか熟慮すること、そして死刑にせざるをえない場合も、決して四肢切断のような残虐な殺し方はせず、苦しまず慈悲深い死刑法を選択すべきと述べている[25]。彼は死刑を避け、人命を尊ぶために、イスラーム法の姦通罪死刑規定により処刑された男に関するムハンマドのハディースを挙げ、ムハンマドは最終的に彼を死刑にせざるを得なかったが、それを避けるための努力を尽くした後だったことを指摘している[26]。そして、死刑と同様の効果を持ち、人命を奪わない永久禁固の有用性を説いている[27]。
全体的な趨勢としては、社会の都市化・近代化が進んだ地域では、イスラームの教えを根拠とする価値観が薄らぎやすい傾向があるとされる一方、都市化・近代化で伝統的な共同体が破壊された結果、人々がアイデンティティの拠りどころをイスラーム的な価値観に求め、生活を再び保守化する傾向があるとされている。特にトルコなどでは田舎から都市部へ流れた労働階級の宗教的保守化は現在の政情に大きな影響を与えている。しかし、保守的なイスラム教徒といえども、現代社会の価値観と全く無縁に生活するというわけにはいかないため、彼らも一定程度は現代社会の価値観を受け入れる動きを見せている。
信教の自由とシャリーアとの矛盾
詳細はズィンミー、イスラーム国家、イスラム教における棄教をそれぞれ参照
現代社会においては、特定の宗教を奉ずる宗教国家もしくは共産主義国などの無神論国家などが、特定の宗教的信条を擁護し、他を迫害してきたこと、それにより宗教を理由とした戦争も起こったことなどを踏まえ、先進諸国の多くで信教の自由が承認されている。国際人権宣言などでも、信教の自由は国家が人間に保障するべき最重要の権利のひとつとして位置づけられている。
しかしイスラーム法(シャリーア)はこのようなコンセンサスが出来上がる以前、いまだに宗教的エスノセントリズムが常識であった時代の法体系である。そのためシャリーアにはムスリムに対しイスラームの絶対的優越に基づく統治を促し、その領域内の異教徒や無神論者をムスリムの下に置くことを義務付ける部分が存在している。彼らはズィンミーとして一定の権利保障を得るが、イスラームに改宗しないかぎりさまざまな差別を受け、宗教的実践にも一定の制限がついていた。また、ムスリムがイスラームを離脱することは背教罪として死刑となるのが原則だった。(ハナフィー学派のみ他国への追放という別解釈)
そのためイスラーム法に基づく国家体制は必然的に、現代国際社会において要求される完全なる信教の自由と平等という原則と衝突することになる。
ただし、例外的な事例として、前近代イスラーム世界においては、インドのムガール帝国に一時期見られたように、異教徒に対して積極的な寛容策がとられた事例が知られている。
現代のイスラーム教徒多数派の国の中には、世俗主義を信奉しシャリーア法を廃止または制限して伝統的なイスラム勢力と対立関係、あるいは内戦状態にある国、(トルコ、アルバニア、アルジェリア、シリア、インドネシア等)から、イスラーム法を適用し、異教徒を従属的な地位に置く国(パキスタン、アフガニスタンなど)、更には支配者の定めるイスラームの宗派以外は、イスラーム教の他宗派も含めてその信仰を認めない国(サウディアラビア)まで存在している。
一般的に言って、イスラム教が優勢な社会でも多民族国家の場合は異教徒に対しては比較的穏健・寛容な政策がとられることが多い。多民族国家では、必然的に宗教も多様となり、相互の信仰を認め合い、批判を控えるような態度をとらなければ、それは内乱などの社会不安の原因となってしまうからである。例えば、世界最大のイスラム国家であるインドネシアでは、「建国五原則」の中でイスラーム以外の宗教を尊重することを掲げており、イスラム教のみならず、仏教・キリスト教・ヒンドゥー教を公認している。これには、インドネシアの民族・宗教の多様性が深く影響している。
他宗教に対してはその時代や地域によって様々な政策がとられていて、寛容な社会も存在するにも関わらず、厳格で偏狭な国や地域ばかりを取り上げて、イスラム教は信仰の自由を認めないなどとする言説には問題があると言える。
同性愛者の人権
詳細はイスラーム世界の少年愛、イスラーム教徒による性的マイノリティー迫害をそれぞれ参照
現代においてイスラーム世界における性的少数者、中でも同性愛者に対する扱いは劣悪であるとされている。多くの国で彼らは「神の道に反した」行いに耽っている「堕落」したものたちと見られている。とりわけシャリーアを施行するイスラーム国家では、同性愛は「ハラーム」であるとされており、刑事罰に処されることも少なくない。
例を挙げれば、シーア派の法学者による統治が敷かれているイランでは、刑法で「ソドミー罪」が定められており、同性同士のセックスを行ったと確認されたばあい死刑に処される[28]。スンナ派の下位セクトであるワッハーブ派のシャリーアによって統治されるサウディアラビアでも同様である。
しかしイスラームの歴史を紐解けば容易に理解できるように、前近代イスラーム世界においては性的少数者に対する寛容の精神が根付いていた地域も少なくなかった。詩集のなかにも同性セックスのすばらしさを謡った詩が少なくない。また現代でもイスラーム教徒の中には同性愛をはじめとする性的少数者への差別に反対している人物(同性愛、非同性愛含め)も少なくないのも紛れもない事実である。
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