2024/11/25 16:24 |
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2009/07/09 12:34 |
米軍が撤退したイラク・モスルで爆弾攻撃相次ぎ12人死亡 |
1件目の爆発はモスル郊外のBawiza地区で発生し、11人が死亡。ほぼ同時刻に同様の爆発が近郊の都市であり、1人が死亡した。
モスルの病院当局者は遺体12体を受け取ったとし、2件の爆発で30人が負傷したことを認めた。
同日、これより先、モスル中心部で路肩に仕掛けられた爆弾が爆発して軍車両が被害を受け、イラク兵士1人が死亡した。東部では、検問所を襲撃した武装集団に兵士1人が銃撃され死亡した。
政府当局が1日発表した統計によると、米軍の都市部からの撤退を控えた6月の衝突による死者数は2008年7月以降最も多い437人で、うち372人は民間人だった。(c)AFP/Mujahid Mohammed
2009/07/07 14:13 |
アフガンで米兵6人死亡=タリバン反撃拡大か-大規模掃討 |
アフガン南部では米軍がイスラム原理主義勢力タリバンに対する大規模な掃討作戦を展開しており、タリバンによる反撃とみられている。(2009/07/07-08:03)
2009/07/03 13:12 |
イラク米兵が同僚5名を殺害:頻発する「同僚・上官殺害」の実態 |
イラクからショッキングなニュースがあった。バグダッド国際空港近くにあり、厳重に防備された米軍基地キャンプ・リバティで11日(現地時間)、発砲事件があり、1人の米国人兵士が同僚の兵士5人を殺害したのだ[負傷者も3人以上と報道されている]。
詳細は現時点で明らかになっていないが、同僚殺害という忌まわしい事例に該当するようだ。AP通信が伝えたところでは、発砲があったのはキャンプ・リバティのメンタルケア施設だという。これは、戦闘に関連するストレスを含めた個人的な問題について、兵士たちがカウンセリングを受けられる施設だ。発砲した兵士は身柄を拘束されているという。
「フラッギング」[嫌 な上官や同僚を、火器など軍隊の武器で殺傷すること。語源はFragment Grenade(容器の破片が爆発と共に高速で飛散し周囲15m以内の人員を殺傷する「破片手榴弾」)]はベトナム戦争において頻発したが、イラク戦争で は、それに比べればこのような同僚殺害事件は少ない。
『イラクおよびアフガニスタン米国退役軍人会』を創設したPaul Rieckhoff氏は次のように述べている。 「ベトナム戦争のときとは異なり、今の軍隊は職業として選択した志願兵の集まりだ。イラクに駐留する米国の軍人による意図的な同僚殺害事件は、これまでに 5件しか起きていない」[ベトナム戦争では、1969年から1973年までの間に900件以上のフラッギングが発生、少なくとも600人が死亡したとされている]
イラクでの例としては、例えば2003年3月には、クウェートの第101空挺師団に所属していた2人の将校が、手榴弾と発砲による攻撃を受けて殺害された。2005年には、イラクのティクリートにある基地内で2人の将校が、[オフィスの窓辺に置かれていた]クレイモア地雷によって殺害された。[クレイモア地雷には700個の鉄球が入っており、起爆すると爆発によって鉄球が扇状の範囲に発射される。最大加害距離は約250m、有効加害距離は約50m]
この事件では二等軍曹が容疑者として告発されたが、軍法会議で[証拠不十分のため]無罪となっている。[冒頭の写真はこの事件が起きたときに作られた、被害者を追悼する「一時的なメモリアル」。Wikimedia Commons]
フラッギングに関する深刻な問題を抱える軍隊について知りたければ、ロシアに目を向けるといい。ロシアの徴兵制による軍隊、およびそれ以前のロシア赤軍[1918年から1946年まで存在した]には、「Dedovschina」(デドブシーナ)、つまり「祖父たちの規則」と呼ばれる、非常に残虐なしごきの伝統があった。
先に徴兵された兵士たちは、新しい訓練兵に残忍な仕打ちをする権利が認められていた。盗みや強奪、殴打、さらにはレイプまでが日常茶飯事だった。こ れらの気まぐれな仕打ちに加え、上官は徴集兵たちを無料の労働力として利用する習慣があった。1990年代には、将校が兵士たちを建設作業に借り出した り、自分の別荘を建てる作業に当てたりしたという報告を聞くことも珍しくはなかった。ロシアでは現在、軍隊を21世紀の水準に引き上げようとしているが、デドブシーナは残っている。実に陰惨なデドブシーナの話を知りたければ、Andrei Sychev氏の事例を読むといい。
ボリス・エリツィン前大統領による無政府状態の時代、ロシアの徴集兵が突然カラシニコフ[ロシア製のライフル銃兼軽機関銃]をつかんで殺人に走った、という話を聞くのは珍しくなかった。中でも不安をかき立てられたのは、核ミサイルの砲台の監視を命じられていた兵士が逆上し、自分の指揮官を殺害した後、自動小銃の銃弾をミサイル施設に浴びせかけた、という1994年に起きた事件だ。
このような不幸な事件は続いている。ロシアの報道をざっと見ただけで、最近もいくつかの事件が起きていることがわかる。チェチェン共和国では兵士が自分の小隊の指揮官と同僚兵士2人を殺害してから自分にも発砲した。あるいは、徴集兵が口論の後で同僚2人を殺害した。シベリアでは兵士が同僚の兵士2人を殺害した後で自殺している。
こうしたことの教訓は、兵士を人間的に扱い、その精神状態について注意すべきということだ。戦闘のストレスを無くすことにはならないだろうが、少しはマシなはずだ。
{この翻訳は抄訳です}
[日本語版:ガリレオ-平井眞弓]
2009/07/03 13:11 |
鬱に苦しむ退役軍人は30万人:戦場のストレスを薬で予防する研究 |
Photo: USAF
心的外傷後ストレス障害(PTSD)あるいはうつ状態に苦しんでいる可能性のある、イラク戦やアフガニスタン戦の退役軍人は約30万人ともいわれており、軍はこれまで帰還した兵たちの治療に多額の予算を使っている。治療法は、「サムライの瞑想」(日本語版記事)から、家庭向けのバーチャルカウンセラーまでさまざまだ。
そんな中、米国防総省の国防高等研究計画庁(DARPA)は、神経科学や心理学、そして薬剤の服用を組み合わせることで、戦場ストレスを事前に食い止められるのではと期待している。
DARPAは7月1日(米国時間)、軍の「ストレス耐性の実現」研究プログラムへ応募者を勧誘する情報セッションを開催する。分子生物学(細胞レベルの相互作用に関する学問)や、神経科学(脳のストレス反応をショートさせられるかもしれない)における進歩を利用できないかというわけだ。
DARPAは、まずはストレスが脳にダメージを与える仕組みの正確な理解を、動物を被験者にして得たいと考えている。
神経科学における最近の技術進歩は、これらの課題にかつてない取り組みを行なう機会をもたらしている。最先端の分子生物学のテクニックを生体測定技 術と組み合わせることで、ストレス経路の操作と、リアルタイムの行動解析が可能になるかもしれない。これら強力なツールにより、時間的、解剖学的に高い精 度でストレスの影響評価ができるようになるだろう。
このプログラムは最終的に、「脳に対するストレスの悪影響を防ぐ、認知行動的あるいは薬理学的介入」を利用した、即効的なストレス軽減を目標にしている。
われわれはすでに、兵士の精神を人工的に強化する薬剤の研究の話は耳にしている[攻撃力を高め、恐怖や苦痛や疲労への耐久力を高める薬剤が研究されている]。戦場で利用される薬理学の次の目標に、(職業的なものから感情的なものまでを含めた)ストレスが選ばれる可能性は理解できる。
DARPAは、一時的な不安を予防するだけでなく、「認知機能障害や不眠症」といったPTSDの症状をも阻止できないかと考えている。
[イラクに派遣されている戦闘部隊兵士の12%と、アフガニスタンにおける同様の兵士の17%が、抗欝剤あるいは睡眠薬を服用して体調を維持していると紹介する日本語版記事はこちら。
トラウマ的な出来事が発生した直後や、思い出した直後に服用すると、記憶のつらさが緩和されるという薬『プロプラノロール』についての日本語版過去記事はこちら。脳ペースメーカーをインプラントして鬱病を治療する技法についての日本語版記事はこちら]
2009/07/03 13:10 |
アフガニスタンの米兵士、過酷な生活(動画) |
http://news.livedoor.com/article/detail/4233029/
2009年07月03日11時23分 / 提供:WIRED VISION
米軍は現在、アフガニスタンのコレンガル渓谷で極めて厳しい行軍を強いられている。NBCのRichard Engel氏は最近、コレンガル渓谷にいる中隊「Viper Company」の兵士たちを訪問した。[Viper Companyは、第1大隊、第26歩兵連隊、第3旅団、第1歩兵隊に属する中隊の通称。Viperは毒ヘビのこと]
Engel氏による一連の動画レポートを見れば、レストレポ基地(Firebase Restrepo)での生活がどんなものか、詳細に知ることができる。レストレポ基地は、アフガニスタンの非常に厳しい遠隔地にある前哨基地だ。
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レストレポの状況はこの数カ月間でずいぶんよくなったとEngel氏は述べている。戦闘の頻度は減り、この前哨基地の状態もわずかながら改善された。監視カメラと見張り塔が設置され、食料事情がよくなった。電子レンジや「家族との通話専用電話」も使えるようになった。
それでも任務は危険で、犠牲者数は多い――Engel氏が前回訪問したときに会った1つの小隊の20人の兵士のうち、今回もレストレポに残っていた兵士はおよそ半分だけだった。残りは死亡、あるいは負傷や病気のため退避していた。
[ある米国のブログは、2008年10月28日付けで、Viper Companyに属する25歳の兵士の死を「アフガニスタンにおける「不朽の自由作戦」で祖国を防衛する闘いにおいて戦死」と記している。サイトトップの画像は2007年11月、Kapisaでの戦闘で負傷した兵士の治療。Wikimedia]