忍者ブログ

中東観察

仕事の合間にちょくちょくこちらへ逃避予定。 もっぱら趣味。(09`06/02) 最近ではもっぱらデータバンク化。 ご自由にご利用下さい。(09`07/01) ※リンクはご自由にどうぞ。 最近相互リンクのご依頼が相次いでいますが、まずはリンクを張られてからお問い合わせ下さい。こちらも迅速に対処いたします。(09`07/01)
RECENT ENTRY RECENT COMMENT

2024/11/24
22:32
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2009/07/17
11:06
アフガニスタン

アフガニスタン・イスラム共和国(アフガニスタン・イスラムきょうわこく)、通称アフガニスタンアフガン)は、西アジアの内陸に位置する多民族国家。首都はカブール

パシュトゥーン人タジク人ハザラ人ウズベク人トルクメン人などの数多くの民族が住む多民族国家である。西にイラン、南および東にパキスタン、北にタジキスタントルクメニスタンウズベキスタンで、国の東端(ワハーン回廊)は中華人民共和国に接する。
国名 

自称国名はافغانستان (Afghānistān ; アフガーニスターン)。ペルシア語ダリー語で「アフガーン人の国(土地)」を意味する。 正式名称は1973年の王制打倒以来政体が変化するごとに新政権によって改められてきたが、ターリバーン政権崩壊後のロヤ・ジルガ(国民大会議)で定められた2004年憲法による正式名称はダリー語で、جمهوری اسلامی افغانستان (ラテン文字転写 : Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Afghānestān , 読み : ジョムフーリーイェ・エスラーミーイェ・アフガーネスターン)という。

公式の英語表記は、Islamic Republic of Afghanistan。通称Afghanistan。日本語の表記は、アフガニスタン・イスラム共和国。通称アフガニスタン。漢字表記は亜富汗斯坦

国名の変遷 

  • 1834年 - 1926年 アフガニスタン首長国
  • 1926年 - 1973年 アフガニスタン王国
  • 1973年 - 1978年 アフガニスタン共和国
  • 1978年 - 1987年 アフガニスタン民主共和国
  • 1987年 - 1992年 アフガニスタン共和国
  • 1992年 - 1996年 アフガニスタン・イスラム国

ターリバーン政権期 

ボン合意以降 

  • 2001年 - 2002年 アフガニスタン(公式国名無し)
  • 2002年 - 2004年 アフガニスタン・イスラム移行国
  • 2004年 - アフガニスタン・イスラム共和国

歴史 

詳細はアフガニスタンの歴史を参照

詳細は「アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)」を参照

詳細は「アフガニスタン紛争 (1989年-2001年)」を参照

政治 

アフガニスタンは共和制大統領制を採用する立憲国家である。現行憲法2004年1月16日に公布されたもの。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年。3選禁止。大統領は強力な指導権を憲法により保障されている。副大統領職あり。イスラーム教徒以外大統領にはなれない。そのほかにもクルアーンやシャリーアを法の源泉とする規定があり、アフガニスタンはイスラム国家の色彩が強い。

2009年5月21日カルザイ大統領の任期が切れる。同8月20日に大統領選挙が行われる。この間の大統領職務は現大統領が継続すべきと最高裁判所が判決を出しているが、反カルザイ大統領派は任期満了後はカルザイを暫定大統領とするよう要求している。

行政府たる内閣は大統領が任命するが、議会の承認が必要。首相職は設置されていない。立法府二院制国民議会で、憲法により、国家の最高立法機関と規定されている。国民議会は下院に相当する人民議会(ウォレシ・ジルガ)と、上院に相当する長老議会(メ シュラノ・ジルガ)で構成される。人民議会は249議席以下と規定され、議員は国民の直接選挙で選出される。任期は5年。長老議会は定数102議席で、5 年任期議員(大統領の任命)、4年任期議員(各州議会の選出)、3年任期議員(各郡議会の選出)が3分の1ずつを占める。

国民議会とは別に、国家主権安全保障憲法改正反乱の鎮圧、甚大な自然災害への対処など、国家の最重要事項に関しては、伝統的な国家意思決定機関である国民大会議ロヤ・ジルガ)が最高機関として機能する。非常設であり、国民議会議員、州議会議長、郡議会議長で構成。閣僚と最高裁判所長官及び最高裁判所裁判官は、ロヤ・ジルガに参加できるが、投票権はない。

司法府の最高機関は最高裁判所で、その下に高等裁判所などが存在。三審制

憲法により複数政党制が認められているが、政党政治が根付いていないアフガニスタンでは、政党の活動は低調である。それでも比較的有力なものとして、かつてアフマド・シャー・マスードが率い、現在はブルハーヌッディーン・ラッバーニー元大統領の指導するイスラム協会タジク人中心)、アブドゥラシード・ドスタム率いるウズベク人勢力のイスラム民族運動ハザラ人主体のイスラム統一党がある。また、パシュトゥーン人による旧政権勢力ターリバーンヘクマティヤール派等の反政府活動も存在し、南部の一部を実効支配している。

人権問題 

純然たるイスラム国家であったターリバーン政権が崩壊した後、カルザイ政権下でアフガニスタンにおける民主主義の構築は一定程度進んだとされる。し かし現在でもアフガニスタンはイスラーム法およびその強い影響下にある世俗法に基づく統治が行われ、非ムスリムへの差別規定があるなどイスラム国家としての色彩が強い。

そのため言論の自由、思想・信条の自由などがしばしば、支配者や聖職者の定義するところの「イスラーム」的な価値観に反するものとされ、シャリーアに基づく背教罪や冒涜罪によって死刑判決が出たこともある。

欧州での生活中にキリスト教に改宗した男性が、これを理由に死刑を宣告された。これに対しては国際社会からの批判が巻き起こり、最終的に死刑判決は撤回されたが、男性は亡命を余儀なくされた。[2]また、女性の権利について、「クルアーンを根拠に女性差別を擁護する人々は預言者ムハンマドの見解を歪曲している」という趣旨の文書を読み、問題提起をしようとした学生に対し、宗教法廷により「冒涜」として死刑が宣告された。[3] これに対しても国際社会は抗議しているが、カルザイ政権も今回は保守派ムスリムの圧力を受け態度を硬化させており、上院では死刑判決を支持する決議が採択された。

 

地理 

アフガニスタンの地図

山の多い地勢であるが、北部や南西部には平野がある。最も標高の高い地点は、海抜7,485m のノシャック山である。国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られている。気候は大陸性で、夏は暑く、冬は寒い。また地震が頻繁に発生している。主要都市は、首都カーブルのほか、西部のヘラート、東部のジャラーラーバード、北部のマザーリシャリーフクンドゥズ、南部のカンダハールなどである。

 


PR
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
URL
FONT COLOR
PASS

TRACK BACK

トラックバックURLはこちら