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中東観察

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2009/06/17
09:51
悪魔の詩訳者殺人事件

悪魔の詩訳者殺人事件(あくまのうたやくしゃさつじんじけん)とは1991年に発生した殺人事件。


概要 [編集]
1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見された。

五十嵐助教授は1990年に反イスラーム的とされるサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳したことから、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた。CIAの元職員は、イラン軍部による犯行を示唆している。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行を裏付ける。

一方、日本の当局による調査は、敏感な外交状況を配慮して具体的な結果を挙げないまま実質上終了されている。テロ犯行否定の目的で、なぜ目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのか、なぜ目撃されにくい研究室で襲撃しなかったのかなど疑問点が挙げられ、個人的な怨恨による大学関係者の犯行の線も否定できないとして、犯人像の絞り込みすらできていない。

捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に五十嵐が書いたメモが発見された。これには壇ノ浦の合戦に関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と表現されていた。このことから、このメモが書かれた時点で、五十嵐は既に何者かが自分を殺そうとしていることを察知していたと言われている。

15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま、(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。

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