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中東観察

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2009/07/14
10:04
ウサーマ・ビン=ラーディンとアルカーイダ

アメリカ政府はかねてからのFBIの情報収集活動などにより、早くからイスラム系国際テロ組織アル・カーイダとそのリーダーであるウサーマが9/11テロ実行犯と断定していたが、ウサーマは当初事件への関与を否定していた。

ところが2001年11月、アフガニスタンのジャララバードターリバーン掃討作戦を行っていたアメリカ兵が破壊された民家から一本のビデオテープを発見、その中でウサーマが同志にこの事件については事前に知っていたと語るシーンがあったことから大騒ぎになった。ウサーマ本人がビデオテープによりアルカーイダによる911テロの犯行声明を公に発表したのは、それから3年後の2004年11月のことである。

疑問

イギリスBBC放送のドキュメンタリー『テロとの戦いの真相(The Power of Nightmares)』(2004年制作・放送。NHKの「BS世界のドキュメンタリー」でも放映された)では、

「ウサーマ・ビン=ラーディンはアルカーイダのリーダーであるといわれているが、『アルカーイダ』は元々アフガニスタンからソビエト軍を追い出すためにアメリカの情報機関であるCIAが育てたグループであり、『アルカーイダ』という名称自体、ビン=ラーディンを逮捕したいFBIがでっち上げた名称だ」 とした。しかし、NHK制作のNHKスペシャル『9.11テロ 一年目の真実~ビンラディンVSアメリカ~』(2002年8月31日放送)では、 「アルカーイダはビン=ラーディンがスーダン滞在中に編み上げた組織だ」 とされており、時系列的に双方の報道は矛盾する。米軍が遠征先で現地人を訓練して作戦遂行に用いるのは珍しいことではなく、現地要員養成はグリーンベレーの任務でもある。

ウサーマ・ビン=ラーディンの部下だと名乗る男の映像が2005年下旬に見つかっている。撮影場所ははっきりしていない。映像にでてきた男はイスラム教徒に「我々の石油がうばわれている。石油に関連する施設を攻撃せよ」などと述べている。

1990年代はじめにウサーマのテープを翻訳した経験のあるMUJCA-Netの主催者ケヴィン・バレット (Kevin Barrett) の見解では、2001年以降に発表された多くの「ビン=ラーディンだ」といわれるテープは偽物であり、CIAが「本物だ」と断定した2002年秋に発表されたテープも、スイスにあるIDIAP研究所が声の分析をした結果は「替え玉による録音だった」という。こうしたテープは、ブッシュ政権が色々な批判を浴びている状況下で報道に出てくることが多く、ブッシュ政権に都合の悪いことを隠すための煙幕だと解釈する人もいる[誰?]。テープ自体は頻繁に出されている。

エピソード
 

  • 彼は左利きである。
  • ウサマと言う名は、シリアの伝説的な詩人の名から付けられたもの。
  • ウサーマの兄サーリム・ビンラーディンはアメリカ合衆国テキサス州において小型飛行機事故で死亡している。
  • 2006年インド東部の村を荒らしまわった象はビン=ラーディンと名付けられた。
  • 2009年2月オーストラリア・ハミルトン島の観光ガイドのアルバイトに、ビン=ラーディンを名乗る、応募のビデオテープが送られてきた。内容は、何者かがビン=ラーディンを騙った、ただのブラックジョークだった。

脚注
  1. ^ NHKスペシャル『9.11テロ 一年目の真実~ビンラディンVSアメリカ~』(2002年8月31日放送)による例では、ナイロビの爆破テロでは、その準備のために「ヘルプ・アフリカピープル」という慈善団体を隠れ蓑にしていた。
  2. ^ USAMA BIN LADEN (FBI公式サイト)
  3. ^ 安保理決議1267(訳文) 外務省
  4. ^ 安保理決議1333(訳文) 外務省
  5. ^ National Commission on Terrorist Attacks (2004). The 9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States ; W. W. Norton & Company. 同時多発テロに関する独立調査委員会『9/11委員会レポート ダイジェスト 同時多発テロに関する独立調査委員会報告書、その衝撃の事実』(WAVE出版、2008年)
  6. ^ 米国のAP通信は、アフガニスタンに潜伏しているオサマ・ビンラディン氏が管理している訓練キャンプで生化学武器実験が実施されたとの報道があったとし、北朝鮮関連説を提起した。AP通信は28日、「ビンラディン氏をアフガニスタン東部のクナル地域まで遂行したあるタリバーン保安関係者が、現地で北朝鮮人1人が訓練兵に化学武器訓練を行っているのを目撃した」と述べたと報道した。[要出典]
  7. ^ CIA Chief: Bin Laden Alive, Worried About 'Own Security' ABCNews
関連項目
 
 
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2009/07/14
10:00
ウサーマ・ビン=ラーディン

ウサーマ・ビン=ラーディンأسامة بن لادن)ことウサーマ・ビン=ムハンマド・ビン=アワド・ビン=ラーディンأسامة بن محمد بن عوض بن لادن、Usāma bin Muhammad bin ʿAwad bin Lādin)は、アメリカ同時多発テロ事件をはじめとする数々のテロ事件の首謀者とされるサウジアラビア出身のイスラム過激派テロリスト。正確な生年は不明だが、1957年3月10日だという説がある。194cm。約73kg。FBI指名手配書によると肌はオリーブ色、髪と瞳はブラウンと表記されている。

表記

日本語ではオサマ・ビンラディンNHKテレビ朝日など)、ウサマ・ビンラディン日本テレビTBSフジテレビテレビ東京など)、ウサマ・ビンラーディン読売新聞など)などとも表記される。

なお、「ビン=ラーディン」は厳密には姓ではなく「ラーディンの子孫」という意味の添え名であるが、ウサーマの出自であるラーディンを祖とする一族の男子は共通してビン=ラーディンを添え名として名乗っており、また本人も「ビン=ラーディン」の名を用いているため、姓のある文化圏に留まらず、アラビア語圏も含め、便宜的に「家名」や彼を指し示す名前として扱われている(人名#イスラム圏の名前を参照)。
 

ラーディン一族

ラーディン一族は、イエメンハドラマウト地方出身の名家(ハドラミー)で、サウジアラビアの建設業関係の財閥「サウジ・ビン=ラーディン・グループ(SBG)」を形成しており、一族の巨額な財産分与が様々な方面に流出した結果、そのいくつかがイスラム教原理主義テロ組織の資金源になっているとされる。グループは、1931年に創設され、石油ブーム時代に建築業で財を成し、マッカ及びメディナのモスクの修理を任されるほど、サウード家の高い信頼を得た。

現在、「サウジ・ビン=ラーディン・グループ」は、アメリカ、アジア及び欧州に多数の支部と子会社(60社以上)を有し、石油及び化学プロジェクト、遠距離通信及び衛星通信に従事している。グループは、50億ドル以上の資本を所有しており、その内、約3億ドルがウサーマの取り分だった。ウサーマは、スーダンの建設会社「アル・ヒジュラ」、イスラム銀行「アシュ・シャマリ」の支配株も保有している。これに加えて、投資財閥「タバ」を所有し、代理人を通して、ケニアに貿易会社、イエメンに器械製造会社、出版社、セラミック生産工場を監督している。

グループの特徴としては、多数のアメリカ人ビジネスマンが参加していることが挙げられ、アメリカのブッシュ大統領一家とも金銭的つながりがあり、父のムハンマド・ビン=ラーディンは元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュとともにカーライル投資グループの大口投資家であり役員だった。また、ウサーマの兄のサーレムは元アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュがかつて経営していた石油会社の共同経営者である。無論、これらはウサーマが反米に立場を転じてテロリストとなる前の話であり、また、彼ら親族はウサーマのようなテロリストではなくそのような組織との直接的関係もない。ウサーマの息子は父に対しテロ行為をやめるようメッセージを発している。

ウサーマは、ムハンマド・ビン=ラーディンの17子(4人の妻から全部で52子)としてサウジアラビアで生まれ育ち、キング・アブドゥルアズィーズ大学経済・管理学部を卒業後、暫くの間、クルアーンの規定の遵守を監督するシャリーア警察に勤務していた。

ムジャーヒディーン

ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻1979年-1989年)時、サウジアラビアは、アフガニスタンのムスリムの抵抗を積極的に支援することに決め、王室に近かったラーディン一家に支援を要請した。ウサーマは、駐アフガニスタン・サウジ王国公式代表に任命され、アフガンゲリラ諸派とともにムジャーヒディーンとしてソ連軍と闘った。

サウジアラビア総合情報庁長官トゥルキー・アル=ファイサル皇太子の委任により、ウサーマは個人財産を生かしてアフガン義勇兵のスポンサーとなり、アブドゥッラー・アッザームと共にアラブ諸国に「サービス局」(マクタブ・アル=ヒダマト)を開設し、エジプトなどから義勇兵を募集して組織化しアフガニスタンへ送り込んだ。

反米
ムジャーヒディーンはアフガニスタンではアメリカ合衆国の後ろ盾を受けていたが、ソ連の敗退後、ビン=ラーディンはアフガニスタンで共に戦ったエジプトイスラム急進主義派テロ組織ジハード団の指導者アイマン・ザワーヒリーなどの影響を受け、反米活動に転じた。サウジアラビアへ帰国したウサーマは湾岸戦争時にサウジアラビア王家が彼の献策を退けてアメリカ合衆国の軍隊を国内に駐留させたことに反発し、急速に反米活動に傾倒していった。このあたりは2001年10月7日に出された彼の声明の中でも「不信心者の軍はムハンマドの地を去れ」という文言で表されている。

ビン=ラーディンはアフガン帰還兵への福祉支援組織を隠れ蓑にイスラム主義原理主義)的な背景を持つ国際テロリズムのネットワークを作り上げたといわれている[1]

1991年にスーダンに渡り、現地で組織の育成を行った。1996年頃にはスーダンから出国し、アフガニスタンに渡った。アフガニスタンでは最初はハーリス派、次いでターリバーンの庇護をうけた。ビン=ラーディンはアフガニスタン国内にアル・カーイダの訓練キャンプを設置していった。

アフガニスタン滞在
1998年2月にはユダヤ・十字軍に対する聖戦のための国際イスラム戦線を結成し、「ムスリムにはアメリカと同盟国の国民を殺害する義務がある」というファトワを布告した。8月にはタンザニアダルエスサラームおよびケニアのナイロビで1998年8月7日に起きたアメリカ大使館爆破事件によってFBIから訴追をうけた[2]。アメリカは当時ビン=ラーディンをかくまっていたアフガニスタンターリバーン政権に対しビン=ラーディンとアル・カーイダの引き渡しを求めた。しかしターリバーンは応じなかったため、国際連合安全保障理事会において国際連合安全保障理事会決議1267[3]が採択され、引き渡しを求められた。しかしターリバーン政権はこれに応じなかったため、経済制裁を受けた。2000年にもアル・カーイダは米艦コール襲撃事件をおこし、国際連合安全保障理事会決議1333[4]によって再度引き渡しが求められた。

アメリカ同時多発テロ事件以後
ブッシュ政権は、2001年9月11日に発生した(アメリカ同時多発テロ事件)の首謀者をウサーマ・ビン=ラーディンとアル・カーイダであると断定した。アメリカ政府の公式報告書(『9/11委員会レポート』)によると、航空機を使用したテロ計画の発案者は、2003年に逮捕され計画の全貌を自白したハリード・シャイフ・ムハンマド(Khalid Sheikh Mohammed)であり、ウサーマ・ビン=ラーディンは彼から計画を持ちかけられたという[5]

2001年以降の足取り

2001年のターリバーン政権の崩壊以降、ビン=ラーディンの正確な足取りはわかっていない。

2004年以降から、腎臓病に苦しみ常に人工透析の電子機器が必要であると報道されている。最近になって、死亡説が浮上した。これは、フランスの地方紙などが伝えたもので、それによると、腸チフスで死亡したとの事である。しかし、フランスのシラク大統領が、「死亡したとの情報はない」などとし、死亡説を否定した。今も尚、死亡説の正否は不明である。一説では北朝鮮に潜伏している[6]などの説があるが定かではない。2008年11月13日、マイケル・ヘイデン(Michael Hayden)CIA長官(当時)は、ウサーマ・ビン=ラーディンの追跡と逮捕は現在でもCIAの最優先事項とした上で、潜伏先をアフガニスタンとパキスタンの国境地帯ではないかという見解を示した[7]

活動の年譜

  • 2004年2月28日イラン・イスラム共和国放送パシュトゥーン人向けラジオ放送が、パキスタン国境付近でパキスタン軍が"だいぶ前に"ビン=ラーディンを拘束したとのニュースを伝えたが、AP通信/ロイターによると、パキスタン外相、アメリカ国防総省はこの情報を否定した。
  • 2004年10月29日カタールの衛星テレビ局アルジャジーラが、その頃撮影されたといわれるウサーマの映像を放映。この中で、ウサーマと思しき男はアメリカ同時多発テロ事件を行ったことを初めて認め、更なるテロを警告した。これに対し、ブッシュ大統領は「脅しに屈しない」と強調した。しかし、このビデオの信憑性を疑う者も多くいる[誰?]
  • 2005年10月に発生したパキスタン地震によりアメリカ諜報部が彼の消息が絶ったとし、更には人工透析の電子機器が常に必要でありながらも地震により電力が止まっているなどの情報もあるため、ドイツの新聞がビン=ラーディン死亡説を報道した。
  • 2007年1月31日、米CNNアラブ首長国連邦ドバイにて、ウサーマの義理の兄弟がマダガスカルで武装グループの襲撃を受け射殺されたことを明らかにした。被害者の兄弟がUAEの衛星テレビアル・アラビーヤに語った。

 

2009/07/14
09:43
アルカイダと関係?テロ事件6人に死刑判決 イエメン

 【カイロ=平田篤央】AFP通信によると、イエメンの裁判所は13日、同国で起きたテロ事件の被告6人に死刑、10人に禁固8年から15年の判決を言い渡した。07~08年に起きた外国人観光客を狙った爆弾テロ事件や、08年の米大使館に対するロケット砲攻撃などに関与したとされる。いずれも国際テロ組織アルカイダとの関係が指摘されている。

2009/07/14
09:42
欧州4カ国とトルコ:ガス輸送管で合意、ロシアへの依存低下目指す

 7月13日(ブルームバーグ):トルコとブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オースリアの5カ国は13日、ガスパイプラインのプロジェクト「ナブッコ」を推進することで合意した。同プロジェクトはロシア産天然ガスへの欧州の依存低下を目指すもので、総額79 億ユーロ(約1兆170億円)規模。

  米国も支援する同プロジェクトは少なくとも2004年から計画されていたが、顧客や通過各国、ガス供給源などの確約が得られず遅れていた。

  トルコのエルドアン首相はアンカラでの調印式で、「ナブッコ・プロジェクトは夢のような構想だとも言われているが、実際には成功物語となり、疑問視していた人々が間違っていたことが証明されるだろう」と意気込みを示した。

  欧州へのガス供給は過去3年に2回、ロシアによる供給停止によて滞った。欧州はこのプロジェクトでロシアへの依存低下を目指す。カスピ海周辺で産出された最大310億立方メートルの天然ガスをトルコ経由でオーストリアに送る同プロジェクトは2014年の輸送開始を目指すが、ガス供給源確保でまだ競争にさらされている。

  エルドアン首相は、同「プロジェクトを支援する」さらなる合意が半年以内に署名されるだろうと語った。欧州連合(EU)の欧州委員会のバローゾ委員長は、プロジェクトに関与するパートナーらは、年末までに「容量契約」を結ぶことを目指すと語った。

  合意を仲介したEUによれば、天然ガスはグルジア、イラン、イラク、シリア4カ国のうち3カ国からトルコに運ばれる。ナブッコは今までにアゼルバイジャンやイラク、トルクメニスタンなどのカスピ海沿岸諸国と天然ガス供給で交渉している。

翻訳記事に関する翻訳者への問い合わせ先:ロンドン 藤森英明 Hideharu Fujimori hfujimori@bloomberg.net Editor: Akiyo Kinoshita 記事に関する記者への問い合わせ先: Rob Verdonck in London at rverdonck@bloomberg.net Steve Bryant in Ankara at sbryant5@bloomberg.net .

2009/07/14
09:41
イラク:米大使の車列近くで爆発 負傷者なし

【カイロ和田浩明】イラク南部ディーカール県で12日、ヒル駐イラク米大使を乗せた車列の近くで路肩爆弾が爆発した。米メディアによると、大使の直前の車が損害を受けたが、負傷者は出ていない。爆発がヒル大使を狙ったものかは不明だが、国務省は調査を行うとしている。AP通信が報じた。

 爆発は、ヒル大使が地元政府関係者や住民との協議を終え移動中に起きた。ディーカール県は比較的平穏で西側の外交官らもよく訪れるが、攻撃されることはまれだという。イラクでは米軍戦闘部隊が都市部から撤退、イラク軍と警察が治安権限を掌握している。

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