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中東観察

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2009/06/17
09:47
ムハンマド風刺漫画掲載問題

ムハンマド風刺漫画掲載問題(-ふうしまんがけいさいもんだい)とは、2005年9月にデンマークの日刊紙に掲載されたムハンマドの風刺漫画を巡り、イスラム諸国の政府および国民の間で非難の声が上がり外交問題に発展した事件をさす。問題の戯画についてはウィキペディア英語版に掲載の図版を参照のこと。同様な問題が、2007年8月18日にスウェーデンでも発生した。こちらの問題はすでに沈静化しているが、一部のスウェーデン地方紙に激しい抗議が行われた。→問題の拡大を参照。

発端 [編集]
デンマークで最多の発行部数を誇る高級紙であり一般的に保守的な論調を有しているとされるユランズ・ポステンは、2005年9月30日の紙面にムハンマドの風刺画を掲載した。この風刺画はムハンマドの12のカリカチュアからなり、それらの中にはターバンが爆弾に模されているなど、イスラーム過激派を連想させるものがあった。

この風刺画掲載に至る経緯は次のようなものである。作家・ジャーナリストのカーレ・ブリュイトゲン(Kåre Bluitgen)がムハンマドの生涯を扱う児童向けの本を書いた際、この本への挿絵の執筆を依頼されたイラストレーターたちは偶像崇拝が禁じられているイスラム教徒からの反発を恐れ誘いを断った。ブリュイトゲンは3人に断られ、1人に「匿名でなら描く」と返答された。ブリュイトゲンの話は2005年9月17日にポリティケン紙によって報じられ、言論の自由さを誇りとする一方、増加するムスリム移民とその文化に警戒を隠さないデンマーク国内において、自己検閲をめぐる議論を起こした。この経緯を聞いたユランズ・ポステンの編集者はイスラム教社会における自己検閲を巡る問題を提起しようと考え、ムハンマドの風刺画の執筆を複数の風刺画作家に依頼、12名がそれに応じて問題の漫画が紙面に掲載された。

風刺画の詳細 [編集]
問題の戯画には"Muhammeds ansigt" ("ムハンマドの顔")という題がつけられている。記事は12の戯画(その全てがムハンマドであると特定できるわけではない)およびユランズ・ポステン文化担当編集者のフレミング・ローズのコメントで構成されている。コメントは次のとおり。

イスラム教徒には近代的で非宗教的な社会を拒絶する者が存在する。彼らは特殊な地位、つまり彼ら自身の宗教上の意識に対する特別な配慮を要求している。このことは、侮辱や皮肉そして揶揄に耐えなければならない、現在の民主主義および報道の自由と両立しない。この事実は必ずしも眺めのいいものではないが、宗教上の意識はいかなる代価を払っても嘲笑する必要があるわけではなく、現代社会における宗教上の意識の重要性が低いことを示している。[...] 我々は自己検閲がどのように終わるかを誰もが説明できない状態に陥りつつある。ユランズ・ポステンがデンマークの戯画作家にムハンマドの漫画を描くよう要請した理由はここにある。[...]
12の戯画を記事における位置に従って時計回りに説明する。:

ムハンマドの顔にイスラムの星、三日月が描かれている。右目が星、三日月は顔の輪郭を覆っている。
ターバンが爆弾に模されたムハンマドの顔。点火されている導火線およびイスラムの教義が描かれている。12の戯画のうち最も議論を呼んだものとされる。
三日月状のハロを頭に添えて立つムハンマド。三日月の中間部はぼやけており、残りの部分は角のように見える。
5つの横顔の殴り書き。それぞれの顔はダヴィデの星と三日月で構成され、短文が付されている。"予言者よ、この野郎!女どもはちゃんと縛り付けておけよ!"
日が没しつつある砂漠を放浪するムハンマド。後方にはロバが見える。
神経が高ぶっている漫画家がムハンマドの顔をかきながら周囲を気にしている。
剣と爆弾を手にしている2人の怒り狂ったムスリムに対して、指導者が話しかけている。"落ち着きたまえ友よ。結局のところこれは南ユトランドの不信心者の書いた絵にすぎん。"
黒板を背にするアラブ風の少年。 舌を突き出し黒板に書かれた文を指している。"ユランズ・ポステンは反動工作員の集まりだ。"少年には"ムハンマド、ヴァルビー・スクール、7.A"とあり、この子が移民の二世であることを示唆している。ヴァルビーはコペンハーゲン郊外の移民が多く住む地区として知られる。
短いサーベルを持ち、検閲により目が隠されたムハンマドの顔。2人の女性に挟まれている。
雲上に立ち、2人の自爆テロ犯を迎えるムハンマド。"待て、処女はもういないぞ!" 自爆テロを煽動する者が、殉教者は死後に処女のいる天国[1]へといけると教えていること[2]への揶揄。
ターバンをつけたカーレ・ブリュイトゲンの頭にオレンジが落下している。
中央、題字の下にはターバンをつけた7名の人物が警察の面通しを受けている。"うーん。どれが彼なのか分からないな。" 7人の人物はそれぞれ: (1) ヒッピー, (2) Pia Kjærsgaard(政治家), (3) イエス, (4) ブッダ, (5) ムハンマド, (6) グールー, (7) カーレ・ブリュイトゲン.

イスラム教社会からの抗議 [編集]
掲載された直後、デンマークのムスリムは反発した。10月12日にはアラブ諸国の11人の大使がデンマーク首相アナス・フォー・ラスムセンに「デンマーク国内の反イスラム教・反ムスリムキャンペーン」について話し合いをするため面会を求めたが、首相は「政府はマスコミにあなたたちの求めるような法的手段を取ることはできない」と面会を断った。既に10月17日にはエジプト紙エル・ファグル(El Fagr)が問題の風刺画を転載するなど、イスラム諸国に反発が広まりつつあった。

10月27日には、デンマーク国内のムスリム団体などが警察に、風刺画掲載は刑法違反であると告発した。(デンマーク刑法170条は、合法的にデンマークにある宗教の教義や崇拝に対し、何人も公開の場であざけったり感情を害させたりしてはならないと定めている。また266条bは、その宗教を理由に人々を脅かすような主張や情報を散布してはならないと定めている。)2006年1月6日、地元捜査官は、「この問題には表現の自由を考慮に入れなければならない。表現の自由があっても信仰の自由などに十分な配慮を行わない場合は該当の条項に違反するが、今回の場合は違反とはいえない」と捜査を打ち切った。

こうしたムスリムの反風刺画の動きは、ムスリム団体へ脅迫の手紙が出されたり、ウィークエンド・アビセン(Weekend Avisen)誌による更に攻撃的な画像掲載につながったという。政府やユランズ・ポステンの対応に不満を持ったイマームたちは、問題の風刺画を掲載してデンマーク国内の状況を説明した43ページのパンフレットを作成し中東への旅に出た。2005年12月6日のイスラム諸国会議機構会議でこのパンフレットは各国代表に渡され、エジプト大使は後にこのパンフレットに基づきデンマーク外相に抗議した。そのパンフレットに掲載された「侮辱的な風刺画」の中には、勘違いによる他の画像や捏造された画像も混じっていたことが明らかになっている。


問題の拡大 [編集]

オレンジは戯画の再掲載を行った新聞が存在する国。丸印は面積が小さいため地図に反映されない国又は地域を示す。2006年に入ると問題は拡大し、口コミや携帯電話のショートメッセージサービス(SMS)で風刺画問題や抗議の呼びかけが広がった。シリアやレバノンでは、1月末から大規模な抗議運動に発展した。これらの国でデンマーク大使館や領事館に対するデモや放火が起こり、イスラム諸国でデンマーク製食品などの不買運動に拡大した。これに対し、欧州各国の新聞、雑誌が「表現の自由をあくまで擁護する」との立場からこれらの風刺画を相次いで転載したことにより、世界中のイスラム社会にさらに大きな憤慨を巻き起こした。

偶像崇拝において一番にタブー視されていることは対象となる者の顔を描く事である。ムハンマドを描くこと自体でも十分問題ではあるが、その顔を描いた事に対しイスラム教徒は多大な憤りを覚えている。風刺の内容も彼らにとって無論、侮辱的ではあるが、それ以上にムハンマドの顔を描いたという事に対し憤慨していると解釈するのが妥当であろうとする説もある。しかし実際にはイスラム世界でもムハンマドの肖像画は数は多くないとはいえ描かれていたため、これを疑問視する声もある。(中央アジア・イランでのテュルク・モンゴル系のイスラム政権では14世紀以降、挿絵入りの歴史書や預言者伝、聖者伝などが大量に作成されたが、そこにはムハンマド自身の姿も描かれた。預言者ムハンマドや聖者(ワーリー)の奇蹟譚は広く愛好・賞揚された。例えばイルハン朝後期にラシードゥッディーンによって編纂された世界史『集史』の預言者ムハンマドの伝記についての部分では、ムハンマド自身も描かれている。この種の挿絵写本の伝統はティムール朝、サファヴィー朝、オスマン朝、ムガル朝などへも受け継がれた。)脚注リンク先の画像なども参照。[3]

リビア、サウジアラビア、シリアの在デンマーク大使は本国に召還された。イランはこれを受け、デンマークとの一切の通商を断絶すると発表した。2006年2月6日にはイランの首都テヘランのオーストリア、デンマーク両大使館にデモ隊が殺到し、火炎瓶などを投げつけた。アフガニスタンやパキスタン、リビア、ナイジェリアなどのデモでは、鎮圧する警察などとの間に激しい争いがおき、死者が出る騒ぎになったほか、キリスト教教会も襲撃された。デモでは、デンマークや風刺画を転載した欧州諸国のみならず、アメリカ合衆国もデモの対象になった。デンマークはこのデモでイスラム圏にいる国民に退去を呼びかけたが、不買運動を通じ農産品・食品などの輸出に多くの損害を出した。

ムスリムおよびデンマークのリベラル派はユランズ・ポステンが報道の自由の権利を誤用していると非難している。これに対してユランズ・ポステンはムスリムの感情を傷付けたことを謝罪したが、どのような風刺であれタブーとしてはならないとしている。ただし、ニューズウィークの取材に編集長が「デンマークでは教会や神に対する中傷は禁止されている」と答えたため、二重基準ではないかと批判された。

イスラエルと対立するパレスチナなどの中東のイスラム社会では、欧州で(ユダヤ人を迫害した)ナチスやヒトラーについて出版、表現を制限しているのに、イスラムへの冒涜に対して表現の自由を標榜するのは二重基準(ダブル・スタンダード)であるとの反発が強まっている。イランの大手新聞「ハムシャフリ(Hamshahri)」は2006年2月6日、ムハンマド風刺画に対して「ホロコースト風刺画」コンテストを行い西側の表現の自由の限界を試すと表明した。11月1日にモロッコの作家が大賞を受賞したことが発表され、中東や欧州、南米の作家に各賞が渡った。イランでは保守派はこのコンテストに賛意を表明したものの、改革派は風刺画問題に対する間違った対応だとして批判した。

2007年8月18日には、スウェーデン・オレブロ市の地方紙Nerikes Allehandaがムハンマドの風刺画を載せたと言う事で、サウジアラビアのイスラム団体、エジプト、イランなどのイスラム諸国がスウェーデン政府及び新聞社に対し抗議を行った。9月12日、スウェーデンのサウジ大使が謝罪を行ったとフランスの通信社が報道した事等により事態は沈静化したが、スウェーデン政府は謝罪を拒否している。風刺画はその他の地方紙でも掲載されている。

2008年2月12日、デンマーク治安当局は風刺漫画を描いた漫画家のうちの一人(クルト・ヴェスタゴーとされている)の暗殺を計画した容疑で5人を逮捕した。計画そのものは未遂に終わっている。これを受け、翌13日には同国の大小15紙がムハンマドの風刺画を一斉に再掲載し、問題の再燃が懸念されている。

2008年6月2日、パキスタン・イスラマバード(Islamabad)のデンマーク大使館への自爆テロが発生、死者6人を出した。国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)は同4日、インターネットでムハンマド風刺への報復とする犯行声明を出した。


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2009/06/17
09:46
汎神論

汎神論(はんしんろん、Pantheism)とは、全ての物体や概念・法則が神の顕現であり神性を持つ、あるいは神そのものであるという宗教観・哲学観。万有神論。ほとんどの宗教における神理解は、一神教・多神教を問わず汎神論的要素を含んでいるとされる。

英語の pantheism は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)を語源にする語で、文字どおり「全ては神」で「神は全て」を意味する。

概要 [編集]
万物に神性が宿るならば神性の有無を論じるのは無意味となるとして、無神論と分類されることもまれにある。ユダヤ教・キリスト教・イスラームの信者の中には汎神論を否定する人々がいるが、その理由としては、森羅万象を神と定義づけてしまうと人間の中にも神が宿っていることとなり[1]、それはすなわち人間が犯す罪は神が犯した罪ということになるからであるとされる。神を唯一無二の存在(=唯一神)であるとするためには、人間を含む自然界を超越した無謬の存在でなくてはならないのに、それが守れなくなるからであるとしている。ただし、唯一神についてのこのような解釈はひとつの例であり、一神教ならば必ずこのような神理解をしなければならないというわけではない。上にも示したとおり、汎神論的要素は多神教・一神教問わずほとんどの宗教の神理解に存在しているとされる。

スピノザの「神即自然」の思想をめぐる「汎神論論争」は有名。古代インドのウパニシャッド哲学、ソクラテス以前のギリシャ思想。近代においては、スピノザ、ゲーテ、シェリング等の思想がこれに属する。

唯一神教が汎神論的性格を重視するようになると、それと一体となった終末論が薄れていくという解釈もある。

2009/06/17
09:45
多神教

多神教(たしんきょう、英: polytheism)は、神や超越者(信仰、儀礼、畏怖等の対象)が多数存在する宗教で、一柱の神のみを信仰する一神教との対比のために用いられる語。
名前のとおり多くの神々を崇拝し、それゆえに同じ宗教の中での信仰形態も多様である。また、特定の一神(主神)が最も高位にあると考え、主神を崇拝の中心とするものを、多神教的一神教と呼ぶことがある。

多神教は具体的に言うと、日本の神道(ただし汎神教とされる場合もある)、中国の道教、インドのヒンドゥー教などが現存する代表例である。現存しない例としては、古代エジプトやメソポタミア、古代ギリシャ・古代ローマの神々、中南米のメソアメリカ文明やアンデス文明で信仰されていた神々などがある。仏教も多神教だという説もあるが議論が分かれているところである。
現代思想との関連性 [編集]
環境をecologyと認識するのは、19世紀半ばのドイツのヘッケルの主張にさかのぼる。アンナ・ブラムウエル[1]はヘッケル以来のエコロジーの歴史を詳述している。それによれば、エコロジーに多神教の一翼をなすアニミズム的要素を認めている。エコロジーはドイツで生まれた一つの考え方である。ゲルマン民族がキリスト教化される前の自然との付き合い方への郷愁と言った側面もある。ドイツでは、18世紀になって英国の影響を受けた啓蒙主義からカント、ヘーゲルのドイツ観念論が展開して、ドイツの近代化の思想的根拠となった。しかし、近代化は現在で言うとグローバル化のようなもので、民族的深層意識を満足させないので、ヘーゲル以降ゲルマン的回帰と結びつくような思想運動が生じた。自然と親しむワンダーフォーゲル運動とも精神的な親近性がある。このようなことは、実は世界各地で見られることである。つまり、一神教が多神教の進化形態で優れているといった主張よりも、現代思想にも一神教的な考え方と多神教的な考え方のそれぞれが適合する面が生きており、聖書が喝破したように「ひとはパンのみで生きることは出来ない」という人類のもつ一見合理性がないと思われるかもしれないが実は必要な活動にも支持をあたえつづけている。



2009/06/17
09:43
多神教優位論

多神教優位論(たしんきょうゆういろん)とは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など『アブラハムの宗教』とよばれる一神教、若しくはその他の一神教の教えを本質的に劣等なものとみなし、対抗して多神教の優越性を主張する思想のことである。とりわけ現代では反イスラーム主義などの影響で多神教の「寛容性」を主張し、一神教を「攻撃的」であると決めつけて批判する場合が多い。ここでは主として現在の多神教優越主義について記述する。

多神教優越主義者は、一神教は「唯一の神」を信奉するため他宗教に対し本質的に非寛容であると主張し、対して多神教は多くの神を認めているため他宗教に対し寛容であると唱えている。


日本における多神教優位論 [編集]
日本では、キリスト教国家とイスラム教国家が千年以上にわたり己が信ずる「唯一の神」への信仰のために戦争を行ってきたことや、近年のナショナリズムの高揚が相まって、日本古来の宗教である神道や外来の宗教ながらも深く日本に根付いた仏教などが、キリスト教・イスラム教と比較し寛容性があるという主張が一部で支持を集めつつある。梅原猛や養老孟司、宮崎駿などは仏教や神道の持つ、キリスト教・イスラム教に対する絶対的優位性を説き、一神教を本質的に不寛容であるとしている。

反論
多神教優位論に対しては、一神教の「包括」的側面、即ち神が唯一であるならばたとえどのような宗教であっても、更には無神論者であっても神は平等に愛を注ぐものであるという思想が生まれうる余地があるという面を無視しているという反論がある。神の唯一性を否定する多神教は一神教に比べて他宗教の神の存在を認めやすいのは事実であるとしても、それは他宗教に対する寛容性には直結せず、寧ろ「他所の神」として排除しに掛かる可能性すらあるという意見も出されている。

歴史的に見ても、一神教徒の多神教徒に対する迫害同様、多神教徒による一神教徒もしくは多神教の別宗派に対する迫害も存在しており、どちらがより寛容かと言う問いは無意味であるとの主張もある。


現代における多神教徒同士の紛争の事例 [編集]
タミル・イーラム解放のトラも参照

スリランカでは主にヒンドゥー教徒のタミル人が、スリランカの多数派であり主に仏教徒であるシンハラ人から(一時は民族浄化も含む)弾圧・抑圧を受け続けてきている。

1975年には武力闘争を目的としたタミル・イーラム解放のトラがタミル人により結成された。一方で、穏健タミル政党であるタミル統一解放戦線は1980年代に入りスリランカ政府から非合法化された。こうした中で1980年代にはタミル人による武装闘争が本格化した。シンハラ人民族主義者によるテロ活動も行われている。

ノルウェー(ルーテル教会を国教とする)の仲介にも関らず、2009年現在も武装闘争が続いている。2009年4月13日にはノルウェーのオスロにあるスリランカ大使館が、タミル人デモ隊に襲撃された[1]。


2009/06/17
09:38
反イスラーム主義

反イスラーム主義(Antiislamism)とはイスラームの教義・価値体系(とされているもの)を本質的に劣等とみなし、攻撃する立場の事。主として西ヨーロッパ・キリスト教社会などで広く見られたが、現代ではそれに限らずイスラーム教徒と接触した社会全てに多かれ少なかれ見られる現象である。

西ヨーロッパ・キリスト教社会と東地中海 = 北アフリカ・イスラーム社会の間には十字軍、レコンキスタ、オスマン帝国のヨーロッパへの侵略、近代の欧州のイスラーム世界への侵略と植民地支配など歴史的対立が見られ、相互の不信は根強いものがあった。更に現代のアメリカの覇権主義とイスラエルのパレスチナ占領はこれらの地域のムスリムを激怒させ、過激派の浸透や教理の硬直化を招くこととなった。

キリスト教徒の側は、イスラム教徒内部の多様性を無視し、女子割礼や名誉の殺人、改宗の禁止、異教徒迫害、女性の隔離などのイスラム社会の悪習・問題点を過度に一般化して「イスラムの本質」とし、「野蛮で人権を無視する遅れた宗教」とイスラムを定義する傾向を強めた。一方ムスリムの側もこれらのプロパガンダに反発する形で教理を硬直化・過激化させ、結果としてこれらの悪習を「イスラムの良き道徳」として積極的に擁護し、キリスト教徒へのジハードを唱える過激派の温存・浸透を招いた。

更にヨーロッパではイスラーム教徒の移民が増えるにつれ、上記の様な偏見に基づく対立が強まり、表向きの「寛容さ」とは裏腹にイスラーム教徒に対する差別・蔑視・偏見などが横行し、それに反発してイスラームに縋る移民の若者との間で緊張が高まった。遂にはオランダやフランス、デンマークなどでムスリムの暴動やクリスチャンとムスリムとの騒乱が発生し、現在でも欧州各国はこのような暴動の再発を防ぐため対策を重ねている。

欧州以外でも、インド亜大陸ではイギリスの植民地統治に依りムスリムとヒンドゥーの間の対立が激化、印パ分離独立と印パ戦争へと発展した。現在でもヒンドゥー教徒が多数派を占めるインドでイスラーム教徒は迫害される存在であり、時折両者の間で騒乱が起きている。

歴史的にイスラーム社会とのかかわりが薄かった地域でも、近年のイスラーム過激派のテロが報道されるにつれイスラームへの偏見が広まり、反イスラーム感情が強くなりつつある。

反イスラーム主義に対する批判としては、主としてイスラーム過激派による護教主義的なものと、リベラリストによる文化平等主義的なもの、とに大別される。それぞれ批判の立脚点が大きく異なることに注意。


リベラリストによる批判 [編集]
反イスラーム主義者はイスラームを「本質的に狂信的であり、女性差別的で異教徒に対し攻撃的な宗教」と定義し、イスラームを攻撃している。しかしムスリム・非ムスリムを問わずリベラル派の知識人からすればこれは公平さを欠いた認識とされる。彼等によればイスラームの中にある狂信性、抑圧性、女性差別性などは世界の他の地域・他の文化や他の宗教にも同様に見られたものであり、反イスラーム主義者の意見はイスラームに対してのみそのような性質を著しく誇張(それと対比して自分達の文化・宗教を美化)するとしている。またムハンマドの個人的言動とイスラーム信仰とを混同しているともしている。以下に、反論の例を挙げる。

イスラーム過激派による批判 [編集]
教条的イスラームの護教的立場からの反イスラーム主義批判の中では、イスラームの他宗教に対する絶対的な優越性が強調され、故にイスラーム法に規定されたムスリムと非ムスリムとの間の人権的格差は差別ではなく正当な“区別”であるとされる。このような立場に対しては反イスラーム主義者のみならず、反イスラーム主義を批判するリベラリストの間からも強い批判がある。以下に、反論の例を挙げる。

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