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中東観察

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2009/07/30
12:30
【Web】ツイッター 政治家にも“新兵器” 140字の「つぶやき」席巻

2009.7.30 07:53
自民党の前衆院議員、橋本岳さんのツイッター(画像は一部加工してあります)自民党の前衆院議員、橋本岳さんのツイッター(画像は一部加工してあります)

 短い“つぶやき”を次々と書き込むミニブログ「Twitter(ツイッター)」。オバマ米大統領からイラン改革派の活動家までが、重要な“武器”として使用している。その影響力の大きさは、「ノーベル平和賞候補」との声が上がるほど。日本でも、政界から芸能界まで広く使われ始め、先月のアクセス数は前月比で5割増の勢いを見せる。時々刻々と“つぶやきパワー”を発信し続けるツイッターは、強力な情報ツールとしての地位を確立しつつある。(池田証志)

  ツイッターは、「いま何してる?」という問いかけに答えるように140字以内で投稿するミニブログ。他のユーザーのつぶやきを自分のサイトに表示すること もでき、気軽さと即時性に優れている。利用料は無料。米国で3年ほど前に始まり、昨年4月には日本語版が立ち上がった。

 米国では、オバマ大統領が選挙活動で使用し、草の根レベルの支持者を開拓。大統領演説の同時発信や会見予定の発表などにもフル活用している。

 また、6月のイラン大統領選をめぐる騒乱では、改革派が組織内の連絡や海外への情報発信に利用。米政府の元高官が今月、「ツイッターにノーベル平和賞を」と呼びかけるほどの評価を得ている。
 

 ≪懇談会を実況中継≫

 自民党の橋本岳・前衆院議員は21日、衆院解散前に開かれた自民党両院議員懇談会の様子を約40分に渡りツイッターで実況中継。続く本会議では「解散詔書が読まれて、万歳三唱して、胸にじーんときて、涙が出そうになりました」と赤裸々な感情をつづった。「人間としての自分を伝えたい」と語る橋本氏のサイトには約5000人がお気に入りとして登録している。

 ツイッター利用の政治家をまとめたサイト「ツイッターと政治」によると、衆参議員6人のほか、地方自治体の首長や議員が使っている。海外とは比較にならないが、かつての政治家ブログ興隆前夜に近い状態だ。

 青森県は今月から、各課が所管するイベントをつぶやいている。千葉県の横芝光(よこしばひかり)町立図書館では、連日ツイッターを更新。新聞の読書欄との連動やイベント案内などに取り組んでいる。

 一般企業も商品広告などにツイッターを利用している。海外ではスイスの食品・飲料大手「ネスレ」や英携帯電話サービス大手「ボーダフォン」が、国内では紀伊国屋書店や日本IBMがサイトを持っている。

 インターネット利用者動向調査会社「ネットレイティングス」の調査によると、6月の月間アクセス数は1091万。5月の712万から1カ月で約53%も増加している。

 各界で急激に広まるツイッターから当分の間、目が離せなさそうだ。

▼ツイッター.やってみます.

 

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2009/07/29
16:36
旅:オスマン建築を堪能 トルコ

 東西文明の十字路、トルコには華々しい文化の歴史がある。イスタンブールの街並みは、ローマ帝国やオスマン帝国の栄華をしのぶ壮麗な建築物に彩ら れている。天を刺すように伸びるミナーレ(尖塔(せんとう))、高いドーム型の天井、幾何学模様の美しいタイル……。偶像崇拝を禁じたイスラム教の下、芸 術家は建物に情熱を燃やした。16世紀に活躍したトルコ最高の建築家、ミマール・シナン(推定1489~1588)の足跡をイスタンブールとエディルネに 訪ねた。【藤田祐子】

 ◇天を突く尖塔、壮観 帝国最盛期の巨匠・シナン設計 栄華表すモスク、宿

 「シナンを知らないトルコ人はいません。最も尊敬する建築界の先人で、大学に『シナン研究』という専門分野があるほどです」

 日本留学の経験があるトラキア大学の建築研究者、ジャンダン・ズルフィカルさん(37)が言う。ミマールはそのまま「建築家」の意で、ルネサンス芸術の建築家で画家で彫刻家だったミケランジェロ(1475~1564)とほぼ同時代を生きたのは偶然か。

 数奇な生涯の偉人だ。元々はキリスト教徒で、皇帝直属の軍人を育てるオスマン帝国独特の「イエニチェリ」で頭角を現す。そこで、スレイマン大帝に 見いだされ、40代後半で宮廷建築家に任命された。90代半ば(推定)で亡くなるまでに、宮殿、モスク、神学校、霊廟(れいびょう)、隊商宿(キャラバン サライ)、ハマム(大浴場)など400以上の建造物を手がけたと伝わる。日本語ガイド歴13年のディレッキ・ケキリッキさんが「ぜひ見てもらいたいモスク です」と話し、リュステム・パシャ・モスクに案内してくれた。

 日用品やスパイスが並ぶエジプトバザールの喧騒(けんそう)を抜けて階段を上ると、静かな空間が広がった。スレイマン大帝の宰相リュステム・パシャのため、シナンが1561年に設計したモスクだ。

 内壁は幾何学模様のタイルで埋め尽くされ、青く輝いている。チューリップやカーネーションなどをモチーフにシナンがデザインしたという。ディレッ キさんがささやいた。「現在の技術では発色できません。スレイマン大帝のため建設したスレイマニエ・モスクが有名で、その習作ともいわれます。でも、細部 すべてに気が配られ、シナンの素晴らしさが分かる。私はここが一番好きです」

 天窓からの柔らかな光に包まれて、男性が1人、じゅうたんにひざまずいてこうべを垂れていた。

    □

 イスタンブールを離れ、1365年から約100年間、オスマン帝国の都が置かれた古都エディルネへと向かった。ギリシャ国境から5キロ、ブルガリ ア国境から10キロに位置し、今も昔もギリシャ、ブルガリアからの玄関口だ。中心街には、今もホテルとして営業するリュステム・パシャ・キャラバンサラ イ、16世紀のソクルル・ハマムなどシナン設計の歴史的建築物が目に付く。目抜き通りには、物憂げな表情でひざをつくシナンの銅像が立っていた。

 シナン自身が「自分の最高傑作」と評した代表作がセリミエ・モスクだ。4本の尖塔は、町のどこからも目に入る。1569年、スレイマン大帝を継い だセリム2世の命だった。シナンは80歳を超えていたが、アヤソフィア大聖堂(537年完成)の大ドーム(直径31メートル)を超えるドームを建てる夢を 描いた。6年がかりで、8本の柱が半円形の天井(直径31・5メートル)を支えるモスクが完成した。

 「完成当時は世界最大のモスク。今もトルコの誇りです」とジャンダンさん。中庭には、金曜礼拝のために大勢の家族連れがいた。異教徒の観光客にもほほえみ、日陰へと手招きしてくれた。

    □

 イスタンブールに戻った最終日、グランドバザールから歩いてシナンの霊廟を目指した。セリミエ・モスク完成後、90歳近いシナンが自分のために設 計したとされる。スレイマニエ・モスク近くの路地裏にある飾り気のない大理石のたたずまいに、オスマン帝国の最盛期を生きた希代の建築家を思った。

 ◇バザールに輝く甘い宝石「ロクム」

 オスマン帝国時代からの伝統菓子が「ロクム」。間口の小さな専門店のショーケースいっぱいに輝いていたり、バザールでは黄金色の照明に宝石のようにきらめいている。

 19世紀の英国人が「ターキッシュ・ディライト(トルコの歓喜)」と名付けて持ち帰り、ヨーロッパに広まった。英児童文学「ナルニア国物語」で は、魔女が子どもを誘惑する重要なシーンに登場し、4きょうだいの次男はその甘い魔力にとらわれてしまう(日本語版ではプリンに置き換えられている)。

 砂糖をまぶした小さなかけらを口に含むと、もっちりとした感触と淡い甘さが広がる。なんだか妙に懐かしい。和菓子のぎゅうひに似ている。同行の日本人が「これは……ゆべしだ!」とうれしそうな声を上げた。

 イスタンブールで訪れたいのはグランドバザールだ。工芸品、食料品など4000店以上が軒を連ねる。手描きの伝統陶器を扱う店に入ったら、店主が ふた付きの皿を差し出した。そこにはロクムが盛られていた。「客人に甘いロクムをふるまうのはオスマン時代からの伝統。『仲良くしましょう(甘い言葉を交 わしましょう)』という意味さ」と笑った。甘さは客人を歓待する心意気の象徴でもあるらしい。

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 ◇成田、関空から直行便

 日本からイスタンブールへは成田空港から週4便、関西空港から週3便、トルコ航空と全日空が共同運航する直行便がある。両国政府の航空当局間協議 で輸送拡大が決まり、来年3月下旬からは、成田-イスタンブールが週6便に増える見込み。関空便の増便や中部空港への就航も期待される。

 日本と同様に四季があり、観光シーズンは春~秋(4~10月)。夏は欧米のバカンス客が多い。トルコ政府観光局によると、日本からトルコへの観光 客は2005年に初めて10万人を超え、06年12万5755人、07年16万8852人と増加。トルコへの観光客全体に占める日本人の割合は0.7% (07年)。


▼親日トルコは是非一度行ってみたい国の一つ.

2009/07/16
11:25
【from Editor】山が動かなかったのはなぜか

2009.7.16 07:26
一国の激動は見る側にとって、そして、多分に演じる側にとっても筋書きのないドラマである。6月のイラン大統領選とその後の情勢混迷も、まさにそうだった。

 幕は意表を突く形で開いた。強硬保守派のアフマディネジャド大統領が、勝利予想も浮上した改革派のムサビ元首相に2倍近い大差をつけて、圧勝したのである。

 拍子抜けする間もなく、投開票を不正と見た改革派国民による激しい抗議行動が巻き起こる。勝敗を覆すまでの不正だったか否かはともかく、ムサビ氏が自らの地盤で敗れるなど、改革派の怒りの火を燃やすだけの疑惑があった。

 流血交じりの混乱もしかし、半月ほどでほぼ収束、大団円を期待した観客には、肩透かしの感なきにしもあらずの展開となった。

 確かに、シェワルナゼ大統領の退陣に至ったグルジアの「バラ革命」(2003年)も、クチマ亜流の体制に終止符を打ったウクライナの「オレンジ革命」(04年)も、アカエフ大統領が辞任に追い込まれたキルギスの「チューリップ革命」(05年)も、同じく大統領選や議会選の不正を発端とし、抗議行動により大規模な流血を見ずに長期体制を転換している。

 一連のいわゆる「カラー革命」の特徴は、軍や治安維持部隊が中立を保つ一方、司法判断などが節目で役割を果たしたところにある。

 フィリピンのマルコス独裁体制を崩壊させた「ピープル・パワー革命」(1986年)も、大統領選不正を引き金としてはいる。こちらは、野党の抗議行動に呼応して、軍内不満勢力が公然と反旗を翻し、体制にとどめを刺した。

 イランは、精鋭軍事集団の革命防衛隊が、ハメネイ師(最高指導者)-アフマディネジャド氏連合の側に立ち、民兵組織バシジにデモを鎮圧させた点で「カラー革命」とも、それらが一枚岩だった点で「ピープル・パワー革命」とも異なる。政治的変革を促す条件が整っていなかったのである。

 だが、今回、99年の学生デモなどとは比較にならないほど広範な層がデモに参加、強硬保守派と改革派の権力闘争も激化させた。イスラム法学者が主導する一種の政教一致体制の下で制約付きの選挙による民主主義を認めるという、矛盾を内包した79年イラン革命以来の体制がそろそろ限界に来ているのではないか。先に挙げた選挙不正がどれも体制末期に起きたことはその意味で示唆的である。

 「イラン劇場」の第1幕は下りた。いずれ、第2幕が上がる。(外信部長 西田令一)

 


2009/07/13
14:40
発信箱:終わりの始まり=福島良典(ブリュッセル支局)

歴史の神の所作だろうか。このところ国際社会で「終わりの始まり」を予感させる出来事が相次いでいる。揺さぶりを受けているのは政治体制や、既存の枠組みだ。

 まず、イスラム法学者が統治する宗教国家イラン。アフマディネジャド大統領「再選」への抗議運動が止まらない。デモに最高指導者ハメネイ師の権威さえ曇りがちだ。

 北朝鮮では核・ミサイル実験と歩調を合わせるように健康悪化が伝えられる金正日(キム・ジョンイル)総書記から三男正雲(ジョンウン)氏への後継準備が始まったという。

 イランと北朝鮮の核開発への対応を協議したラクイラ・サミット(イタリア)には新興国など40カ国・機関の首脳が参加し、G8(主要8カ国)時代の終えんを告げた。

 サミット拡大会合では中国の発案で基軸通貨の多様化が協議され、ドル帝国落日の兆しが表面化し始めた。その中国は新疆(しんきょう)ウイグル自治区の暴動への対応に追われる。

 見逃せないのは、グローバル化時代に情報技術が果たす役割だ。イランの抗議運動は携帯電話で拡大した。中国政府は国外から暴動が扇動されたとしてインターネットの接続サービスを一部制限した。

 在欧消息筋によると、金総書記が後継体制作りを急ぐ背景には昨年の脳卒中発作の情報が国内でも広まったことがあるという。「人心の動揺を避けるため」との解説だ。

 かつて国家の脅威は敵国の軍事力だった。ネット時代の今、各国指導者にとっての新たな脅威は、やすやすと国境を乗り越える電子情報だ。

 だが、彼らも、世界を駆け巡り、内外世論に影響を与える電子情報に配慮せざるを得ない。携帯電話とネットを手にした市民が国際政治の舞台に上がったのは間違いない。

2009/07/06
00:21
まったく関係ないが興味深い記事

重役たちとセックスのわな――フィナンシャル・タイムズ

フィナンシャル・タイムズ2009年7月3日(金)16:28


(フィナンシャル・タイムズ 2009年6月30日初出 翻訳gooニュース) ルーク・ジョンソン


イタリアの元副文科相がこのほど、「権力の座にある男たちには、セックスがたくさん必要なのだ」と発言した。「ベルルスコーニが性的に欲求不満だと、首相としての職務をきちんと果たせない」とまで。実に興味深い発言だと思った。

元副文科相はもちろん、スキャンダル続きのベルルスコーニ首相について語っているのだが、同じことが、同じように強大な権力をもつビジネスリーダーにもあてはまるのではないかと思ったのだ。

約20年ほど前、私はエンターテインメント業界やマスコミ業界の企業に、受付や秘書を派遣する人材派遣会社のオーナーのひとりになった。そしてこの会社では、年頃の魅力的な女性しか派遣してはならないというのが、言わずもがなの不文律だった。というのもクライアント企業がそれを求めていたから。

ぶっちゃけて言えば、広告代理店も演劇プロデューサーもテレビプロデューサーもみんなが皆、どうせ雇うならものすごい美人がいいと希望していたのだ。一方で、この人材派遣会社を運営したのは女性4人。彼女たちが応募者を面接する時、私はそのフロアに立ち入り禁止だった。「男性上司」というもの対して、彼女たちはとても冷めた見方をしていたのだと思う。

中年から老年にさしかかりつつある男たち、しかも権力をもち要職にあるリーダーたちは繰り返し繰り返し、懲りもせず、若い女性たちと問題行動を起こすという危険な賭に挑んでいる。高いリスクにもかかわらず。その方が、優秀な経営者になれると思っているのだろうか。年をとってから若い女性とつきあいたがるこういう男たちというのは、若いころ女の子に対して自信がもてなくて、かつ20代前半で若くして結婚した連中ではないかと、そんな気がしている。

そういう男たちはもしかしたら毎日、宿題や休暇中のバイトで忙しすぎたのかもしれない。いつも成功を追い求め、大金持ちになろうと必死で、女性にもてようにも暇がなかったもかもしれない。だから若い頃に異性相手に羽目を外したり、周りの若い連中が話しているようなワイルドなセックスを楽しんだこともないのかもしれない。

しかしこういう連中がいざトップにたどり着くと、エゴは肥大しているし、ナルシシズムも極致に達している。おまけに、ここまで来ると連中には、新しい最強の武器を手にしている。ヘンリー・キッシンジャーがかつて言ったように「権力は究極の媚薬なのだ」。前にとあるパーティーでキッシンジャーが、ご婦人たちを魅了している様子を見たことがあるだけに、その言葉は正しいのだろうと思う。

もちろん、野心とテストステロンは密接に関係している。群れのボスになるオス(アルファ・メール)は必ず、野心もテストステロンも大量にもっていて、仕事やスポーツやセックスといった色々な分野で支配者になりたいという衝動に突き動かされているものだ。

それにはいずれも金とエネルギーが必要だが、そもそも企業トップというのは金もエネルギーも有り余るほど持っているものだ。心理学者の説によると、企業トップというのは実は製品をもっとたくさん売りたいとか、もっと金をたくさんもうけたいとか願って行動しているのではなく、本音部分では実はみんなが皆ロック・スターになって大勢のグルーピーにちやほやされたい気持ちがあるから、自分に出来る形でトップを目指すのだ——という見方もあるらしい。

億万長者が自分の欲望に忠実なあまり、結婚生活をぶちこわすだけでなく、キャリアも会社も失いそうになるという物語は、枚挙にいとまがない。あのビジネス・トップもこのビジネス・トップも、壊れた結婚や救いようのない不倫、混乱しまくった感情の軋轢などの残骸を、足跡のように転々と残している。

役員室があまりに無味乾燥で無菌室のようなので、企業トップたちは不倫や離婚といったドラマチックな展開に飢えているのかもしれない。あるいはついに大企業トップに上り詰めて初めて、若い美女との不倫という「禁断の果実」に触れるようになったため、あまりのめくるめくスリルに頭も下半身もポーッとなってしまうのだろうか。

大事な決定をいろいろと下す立場にある企業トップたちが、強すぎる性衝動の言いなりになっているという事例がこれほど頻発するのは、何とも不安な現象ではある。しかし私たちはみんな人間なのだし、自分で認めたい以上に、本能的な衝動に突き動かされて行動しているものなのだ。

「権力」というものの秘密をもっと理解できるようにするため、社会学者や人類学者や生物学者は、もっと起業家や政治家の生態を分析するべきだ。科学者たちは、アドレナリンとテストステロンの関係性を研究し、一部の成功者にとってアドレナリンとテストステロンがどう組み合わさると危険なのかを解明すべきだ。

自分のことを言えば、私は実は、女の子にもてようもてようとするついでに、ひょんな事でビジネス界に転がり込んだようなものだ。学生だった18歳のころ、私が大学で開くパーティーがあまりにやかましいので、大学側から退学にするぞと脅されていたほどだ。

大学の敷地内ではもうパーティーができなくなったので、仲間たちと一緒に地元のナイトクラブでパーティーを開くことにした。そこで仲間の一人が、せっかくなら参加者から金を取ろうと素晴らしいアイディアを思いついてくれたわけだ。おかげでその時から、私たちのパーティーはビジネスとなり、私はうっかり偶然、資本主義のとりことなってしまったのだった。

それ以来わたしはもっとまともな人間になろうと努力しているし、もっと年相応に行動しようと意識している。少なくともイタリア首相よりはましだと、それは言えると思う。

 


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(翻訳・加藤祐子)