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2009/07/09
12:42
国際治安支援部隊02

日本の協力 

主な出典:NATO広報センターファクトシート(2008年10月)

2009年5月現在、政府は2007年1月の安倍晋三元総理の北大西洋理事会NAC)での演説以降、アフガニスタンでISAFを展開するNATOに対し財政支援(financial support)を行っており、NATO・ISAF側は広報センターを通じてこの事実をファクトシートの形で公表している。日本の対NATO協力の変遷は次のとおり。

  • 2007年1月、安部元総理大臣が北大西洋理事会で演説を行う。[23]
  • 2007年3月、アフガニスタンでの人道支援プロジェクトのために約20億円の財政支援を実施。
  • 2007年12月、NATO文民代表部との連絡促進のため常勤の連絡調整員を指名。[24]
  • 2009年5月、NATO加盟国のリトアニア政府の要請を受け、チャグチャラン州で展開するPRT(地方復興チーム)に対する文民派遣を行なうことを決定。外務省職員2名と公募民間人2名の計4名を派遣予定。[25]

NATOのアフガニスタンでの活動に対する日本の財政支援は、政府の草の根(人間の安全保障)無償資金協力(GAGP)スキーム[26]の 範囲内で行われている。2008年10月2日現在、日本政府はGAGPの方針に従い29のプロジェクト支援を実施しておりその総額は約260万ドル (2,647,927米ドル)に及んでいる。NATOによれば、政府はさらに39のプロジェクトへの追加資金協力を検討している。

上級文民代表 

2003年11月以降、NATOは、アフガニスタンにおける政治・軍事上の目的遂行の為に、連合の政治部門の代表として上級文民代表(Senior Civilian Representative)を派遣している。 上級文民代表は、欧州連合、アフガニスタン政府、国連アフガニスタン支援ミッション、市民社会組織(Civil Society Organizations)、国際社会及び近隣諸国との連絡調整役を担う。

歴代文民代表 

国名 氏名(日) 氏名(英) 任期
トルコ ヒクメット・チェティン国務相 Minister of State Hikmet Cetin 2003年11月19日 - 2006年8月24日
オランダ ダーン・エバーツ大使 Ambassador Daan Everts 2006年8月24日 - 2007年1月24日
オランダ モーリッツ・ヨケムズ大使(臨時代行) Ambassador Maurits R. Jochems 2008年1月24日 - 2008年4月24日
イタリア フェルナンド・ジェンティリーニ大使 Ambassador Fernando Gentilini 2008年7月23日 -

司令官 

国際治安支援部隊(ISAF)は当初、有志国が参加する有志国連合軍であった。2003年8月11日にISAFの全指揮権がNATOに移るまで(ISAF IV ~)、ISAFの指揮は参加国の司令官が持ち回りで執った。現在、ISAFの指揮権は10回目のラウンドを終え、 アメリカ合衆国に移っている。米国がISAFの指揮権を持つのはこれが初めて。[27]

歴代軍司令官 

ISAF x 国名 氏名(日) 氏名(英) 任期
ISAF I[28] イギリス ジョン・マコール少将 Maj.Gen. John McColl 2001年1月10日 - 2002年6月20日
ISAF II[29] トルコ ヒルミ・アクン・ゾルル大将 Gen. Hilmi Akin Zorlu 2002年6月20日 - 2003年2月10日
ISAF III[30] オランダ ノルベルト・ファン・ハイスト中将 Lt.Gen. Norbert Van Heyst 2003年2月10日 - 2003年8月11日
ISAF IV[31] ドイツ ゲッツ・グリーメロート中将 Lt.Gen. Gotz Gliemeroth 2003年8月11日 - 2004年2月9日
ISAF V[32] カナダ リック・ヒリアー中将 Lt.Gen. Rick Hillier 2004年2月9日 - 2004年8月9日
ISAF VI[33] フランス ジャン=ルイ・ピ中将 Lt.Gen Jean-Louis Py 2004年8月9日 - 2005年2月13日
ISAF VII[34] トルコ エテム・エルダー中将 Lt.Gen. Ethem Erdagi 2005年2月13日 - 2005年8月4日
ISAF VIII[35] イタリア マウロ・デル・ヴェッキオ中将 Lt.Gen. Mauro del Vecchio 2005年8月4日 - 2006年5月4日
ISAF IX[36] イギリス デイビッド・リチャーズ大将 Gen. Sir David Richards 2006年5月4日 - 2007年2月4日
ISAF X[37] アメリカ合衆国 ダン・マクニール中将 Lt. Gen. Dan K. McNeill 2007年2月4日 - 2008年6月2日
ISAF XI[38] アメリカ合衆国 デイビッド・マキャナン大将[39] Gen David D. McKiernan 2008年6月2日 -

脚注・参考 

参考文献

脚注

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  1. ^ Agreement on Provisional Arrangements in Afghanistan Pending the Re-establishment of Permanent Government Institutions(英語)
  2. ^ 国連安保理決議1386号 - ISAFの設置を承認
  3. ^ 国連安保理決議1386号 - 原文:"Acting for these reasons under Chapter VII of the Charter of the United Nations, "。
  4. ^ Military Techinical Agreement(英語) - アフガニスタン政府が調印した軍事技術協定
  5. ^ 国連安保理決議1776号 - 原文:"Requests the leadership of ISAF to keep the Security Council regularly informed, through the Secretary-General, on the implementation of its mandate, including through the provision of quarterly reports;"
  6. ^ 国連安保理決議1707号 - 原文:Requests the leadership of ISAF to provide quarterly reports on implementation of its mandate to the Security Council through the Secretary-General;"
  7. ^ ISAF公式サイト『Mandate』の説明 - 原文:"It is a coaliton of the willing deployed under the authority of the UN Security Council."
  8. ^ ボン合意付帯文書I(英語)
  9. ^ ISAF公式リーフレット『The Structure of ISAF』
  10. ^ 国連安保理決議1413号(英語) - ISAFの半年間の任務延長を承認
  11. ^ 国連安保理決議1510号(英語) - ISAFの任務拡大を承認
  12. ^ ドイツ外務省公式サイト『Expansion of the ISAF area beyond Kabul』の説明
  13. ^ UN New Centre, "SECURITY COUNCIL EXTENDS INTERNATIONAL SECURITY ASSISTANCE FORCE IN AFGHANISTAN FOR ONE YEAR, SEEKS REINFORCEMENTS TO BOOST SECURITY" - 原文:"Decides to extend the authorization of the International Security Assistance Force, as defined in resolution 1386 (2001) and 1510 (2003), for a period of twelve months beyond 13 October 2008;"
  14. ^ ISAF公式サイト『What does it mean in practice?』の説明
  15. ^ Afghan National Security Forcesの略。国家軍と警察を含むアフガン治安維持部門の総称。
  16. ^ Afghan National Policeの略。ANSF(国家治安部門)の一翼を担う。
  17. ^ Disbandment of Illegal Armed Groupsの略。アフガニスタン国家開発戦略(ANDS: Afghanistan National Development Strategy)に基づいたアフガニスタン政府主導で行われる武装解除政策。通常、合法武装集団の武装解除・動員解除・社会復帰(DDR: Disarmament, Demobilization, Reintegration)では武装解除及び動員解除後に社会復帰の為の施策が用意されているが、DIAGの場合はこの措置が行われないのが特徴。
  18. ^ MILITARY TECHNICAL AGREEMENT Between the International Security Assistance Force (ISAF) and the Interim Administration of Afghanistan (‘Interim Administration’), "STATUS OF THE INTERNATIONAL SECURITY ASSISTANCE FORCE," SECTION 1: JURISDICTION, secs. 1-4; A-1 - A-2.
  19. ^ ISAF公式リーフレット(2006年度)
  20. ^ International Security Assistance Force(2008年10月8日) - ISAF公式サイト
  21. ^ William M. Arkin, "CODE NAMES: Deciphering U.S. Military Plans, Programs, and Operations in the 9/11 World," Hanover: Steerforth Press (2005), p.67
  22. ^ 注:フランスは従来はNATOの政治機構にのみ参加しており軍事機構からは1946年に公式に脱退している。1993年より段階的に軍事部門へ復帰しているが完全には復帰していない。2008年6月、サルコジ|大統領はブカレストでのNATO首脳会議でNATO創立60周年を記念する2009年4月に合わせて完全復帰を目指すことを公約したが、同時に、核戦力については独自戦力を維持し、且つ仏領土内へのNATO駐留軍の駐留も引き続き認めない方針を明らかにした。(参考:Wikipedia英語版のNATOのエントリ
  23. ^ 「北大西洋理事会(NAC)における安倍総理演説「日本とNATO:更なる協力に向けて」(仮訳)(2007年1月12日) - 外務省
  24. ^ NATO文民代表部に対する連絡調整員について(2007年12月23日) - 外務省
  25. ^ 「アフガニスタンPRT文民支援チーム」の派遣について(2009年1月9日)、[http://www.mofa.go.jp/Mofaj/press/release/21/4/1190655_1096.html アフガニスタンのチャグチャランPRTへの文民支援チームの派遣 (2009年4月17日)] - 外務省
  26. ^ 草の根・人間の安全保障無償資金協力 - 外務省
  27. ^ ISAF公式サイトの「Chronology」
  28. ^ ISAF I情報サイト(英語) - Operation Fingal
  29. ^ ISAF II公式サイト(英語)
  30. ^ ISAF III公式サイト(蘭) - 独蘭カナダ連合部隊
  31. ^ ISAF IV情報サイト(独)
  32. ^ ISAF V情報サイト(英) - Operation ATHENA
  33. ^ ISAF VI公式サイト(英) - EUROCORPS
  34. ^ ISAF VII公式サイト(英) - NRDC-T
  35. ^ ISAF VIII公式サイト(伊) - NRDC-IT
  36. ^ ISAF IX公式サイト(英) - ARRC
  37. ^ ISAF公式サイトの「ISAF Headquarters」(英)
  38. ^ ISAF公式サイトの「Chronology」(英)
  39. ^ 報道に よるとマキャナン司令官は2008年10月2日、ISAFとアフガン駐留米軍(OEF)の司令官を兼務することを米上院により承認されている。これは米軍 とISAFが一体運用されることを示し、ISAFが現場レベルでは対テロ掃討作戦をその本来任務としてOEFから継承することを意味する。

関連項目 

外部リンク 

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2009/07/09
12:40
アフガニスタンの国際治安支援部隊(ISAF)とは

国際治安支援部隊(こくさいちあんしえんぶたい : International Security Assistance Force)は、国際平和活動のひとつ。アフガニスタンの治安維持を通じアフガニスタン政府を支援する目的で、2001年12月5日ボン合意[1]に基づく2001年12月20日国連安保理決議1386号[2]により設立された。当初は有志国の集まりからなる多国籍軍により構成されていたが、現在は北大西洋条約機構(NATO)が統括する。略称はISAF(アイザフ)。

ISAFの作戦本部はアフガニスタンカブールにあり、司令本部はオランダのNATOブロンソン連合統合軍司令部に置かれる。いずれも、欧州連合軍最高司令官(Supreme Allied Commander Europe: SACEUR)の指揮下にある。
 

設立根拠 

国際治安支援部隊(ISAF)は、NATOによる活動を国連が承認したもの。設立は、2001年12月20日安保理決議1386号により、国連憲章第7章の発動の下で行われる軍事的強制措置[3]、すなわち集団安全保障の実行措置として、憲章第43条の規定に基づいている。軍事的強制措置は、「安全保障理事会と加盟国の間の特別協定に従って提供される兵力・援助・便益」によって行われる。ISAFはこの措置に従い、2001年12月31日にアフガン暫定政府と軍事技術協定(Military Technical Agreement)[4]を結んでおり、この協定はアフガン正統政府の発足後、2003年12月9日に再び調印されている。ただし、この協定はISAFとホスト国の間で交わされたものであり、国連とISAFの間で交わされたものではない。憲章第43条の規定は部分的にのみ履行されており、安保理・加盟国間の協定は成立していない。

2007年9月19日の安保理決議1776号[5]及び延長前の1707号(2006年9月12日採択)[6] において、ISAF司令部に対し、「事務総長を通し安全保障理事会に対しその活動委任内容の履行状況について四半期ごとあるいは定期的な報告を行うことを要請する」という主旨の決定事項が決議本文に記載されているものの、国連憲章第1章に基づく平和維持軍ではない。ISAFは、湾岸戦争における安保理決議678(武力行使容認決議)と同様、国連憲章第7章に基づき「国連安保理に派遣を承認された有志国連合軍」(いわゆる「多国籍軍」)である。[7]

根拠文書 

ISAFの設立を承認した安保理決議1386は、ボン合意の付帯文書I、「ANNEX I: INTERNATIONAL SECURITY FORCE」)[8]の規定に基づきその履行措置として採択された。付帯文書Iの当該箇所の要旨(仮訳)は次のとおり(太字部分が、当初想定されていた任務内容である)。

  1. この会議の参加者一同は、アフガニスタンにおける治安と秩序の維持はあくまでアフガン国民自身の責務であることを認める。このため、会議の参加者 一同は、国連要員、国際機関及びNGO要員が安全な環境の中で活動できるようにするため、許容される限りの手段と影響力を行使して治安の維持に務めること をここに約する。
  2. 上記目的を念頭に、この会議の参加者一同は国際社会に対し、保安部門及び国軍の創設についてアフガンの新政府当局を支援することをここに要請する。
  3. アフガン独自の保安部門及び国軍の確立には相当な時間がかかることを想定し、この会議の参加者一同は国連の安全保障理事会に対し、国連授権のある部隊の早期派遣を求める。この部隊は、カブールならびにその周辺地域における治安維持支援の任に当たるものとする。同部隊は、適当であると判断される場合は、必要に応じて、他の都市部及び地域へと展開することが可能であるとする。
  4. この会議の参加者一同は、国連授権の部隊が展開されるカブールその他都市部およびその他地域から、各々の軍隊を撤退されることを約する。またこの部隊は、アフガニスタンの国内インフラの復興を支援する能力を有するものであることが望まれる。

任務 

国際治安支援部隊(ISAF)は、アフガニスタン政府、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)、国際機関(IGO)および非政府組織(NGO)と連絡及び協力することにより各機関と連携してその任務を果たす。[9]ISAF の任務は、「アフガニスタン当局者及び、特に人道・復興分野に従事する国連要員その他国際文民要員等が安全な環境で活動できるよう、アフガニスタン国内の 治安維持について同国政府を支援すること」である。具体的には、パトロール等の治安維持活動や、国軍・警察等の治安部隊の訓練、民軍協力(CIMIC: Civil-Military Cooperation)プロジェクトの調整、アフガニスタン政府の治安分野改革DIAG、麻薬対策等)の支援などを実施することである。

設立当初、ISAFはMTA(Military Technical Agreement: 軍事技術協定)に基づきアフガニスタンのカブール及び近郊のバグラム空軍基地を含むAOR(Area of Responsibility: 活動範囲)の治安維持を支援することを目的として、各国軍から構成される多国籍軍が半年の活動期間を与えられていた。しかし後続の決議、アフガニスタン政府の要請、そしてNATOによる政治決定を受けて、ISAFの活動範囲は徐々に拡大されていった。

任務の変遷 

  • 2001年12月20日安保理決議1386により6ヶ月の期間で任務を与えられる。
  • 2002年5月23日、安保理決議1413により期間が半年延長される。[10]
  • 2003年8月11日国連およびアフガニスタン政府の要請により、この日を以って指揮権が ドイツ オランダ連合軍からNATOへと移行する。
  • 2003年10月13日、安保理決議1510号により活動範囲をカブール周辺からアフガニスタン全土に拡大することが承認される。[11]
  • 2003年12月、北部へ展開を開始する(ステージ1)。
  • 2004年6月24日 トルコでのNATO首脳会議でカブール周辺以外の地域への任務拡大が決定される。[12]
  • 2005年5月、西部への展開を開始する(ステージ2)。
  • 2006年7月、南部の治安維持部隊の指揮権をOEFより継承。南部展開を開始する(ステージ3)。
  • 2006年10月、東部の治安維持部隊の指揮権をOEFより継承。東部へ展開を開始する(ステージ4)。

任期 

これまで、ISAFの任務は数度に渡って延長されており、最新の安保理決議1833号(2008年9月22日採択)により、現在の任務は2008年10月13日から2009年10月13日までの1年間となっている [13]

活動内容 

国際治安支援部隊の活動は6つの柱から構成されている。[14]

  1. アフガン国家治安部門(ANSF)[15]と連携した治安維持支援
  2. ANSFおよびアフガン国家警察(ANP)[16]の開発及び育成の支援
  3. 復興ニーズの調査支援
  4. 非合法武装集団の解体(DIAG)[17]支援
  5. 麻薬対策支援
  6. 人道支援サポート

特権免除 

ISAFの要員、支援要員、及び関連する連絡要員は全て、アフガニスタン暫定政府と結ばれる軍事技術協定(MTA)に基づき以下の特権免除を付与される。[18]

  1. 1946年2月13日の 国際連合の特権及び免除に関する条約[1]に於ける国際連合のための任務を行なう専門家に関する条項の変更すべきところを変更した(mutatis mutandis)規定の適用。
  2. 個人逮捕及び拘束の免除。誤って逮捕若しくは拘束された場合、すみやかにISAF当局に引き渡されなければらない。
  3. アフガニスタン領内に於ける各部隊提供国要員によるあらゆる刑事犯罪もしくは軍規違反行為に関する当該要員所属国の専属管轄権の行使。この際、アフガニスタン暫定政府はこれら管轄権の行使に辺り部隊提供国を支援しなければならない。
  4. 部隊提供国の承諾なき、あらゆる国際法廷、機構若しくは国家に対する引渡し若しくは身柄の拘束の免除。

組織構成 

国際治安支援部隊(ISAF)は陸・空の2つの側面から活動を展開する。それぞれが本部や方面軍を持ち、その作戦運用面での全てを統括するのがカブールの司令部で、カブールの司令部はNATO欧州連合軍最高司令部(SHAPE: Supreme Headquarters Allied Powers Europe)にその司令部を置く連合統合軍司令部(ACO:Allied Command Operations)の指令を受ける。ISAFの場合は、オランダのブロンソン連合統合軍司令部(JFBCS: Allied Joint Force Command Brunssum)がその指揮を執る。

ISAFの組織構成は次のとおり。

  1. 欧州連合軍最高司令部(SHAPE)
  2. ブロンソン連合統合軍司令部(JFBCS)
  3. カブール司令部(HQ ISAF)
  • 航空任務部隊(ATF:Air Task Force)
  • 方面軍(RC:Regional Comand)
  • 前進兵站基地(FSB:Forward Support Base)
  • 地方復興支援チーム(PRT:Provincial Reconstruction Team)

指揮系統 

当初は、指揮国が半年交代であり、イギリストルコドイツの順に指揮を取った。しかし、指揮国の負担が大きかったため、2003年8月9日より、NATOが指揮を取ることとなった。[19]これは、NATOとしての初の北米・欧州以外への域外派遣となる。

参加国 

2008年10月現在、国際治安支援部隊(ISAF)には欧州連合(EU)を中心に、計41カ国から50,700名が参加している。[20]2002年1月10日以降、ISAF参加国は相互にMOU(共同覚書)を締結することにより、ISAFへの参加を公式なものとしている。[21]ISAFの参加国構成は次のとおり。

NATO加盟国 

2008年10月現在、ISAFにはNATO加盟国から以下の25カ国が参加している。増減数は2007年10月から比較したもの。
No. 国名 戦力 増減
1. ベルギー 420 30
2. ブルガリア ブルガリア 460 70
3. カナダ 2,500 (579)
4. チェコ チェコ 415 84
5. デンマークの旗 デンマーク 750 234
6. エストニアの旗 エストニア 120 (8)
7. ドイツ 3,310 402
8. ギリシャ 130 (13)
9. ハンガリー 240 (74)
10. アイスランド 8 8
11. イタリア 2,350 (223)
12. ラトビア 70 (14)
13. リトアニア 200 2
No. 国名 戦力 増減
14. ルクセンブルク 9 0
15. オランダ 1,770 429
16. ノルウェー 455 14
17. ポーランド ポーランド 1,130 187
18. ポルトガル 70 (112)
19. ルーマニアの旗 ルーマニア 725 181
20. スロバキアの旗 スロバキア 70 (2)
21. スロベニア スロベニア 70 5
22. スペイン 780 75
23. トルコ 800 (415)
24. イギリス 8,330 1,652
25. アメリカ合衆国 20,600 5,446

非NATO加盟国(EAPC) 

現在、ISAFには非NATO加盟国でEAPC加盟国から以下の10カ国が参加している。
No. 国名 戦力 増減
1. アルバニア 140 (2)
2. オーストリア 1 (1)
3. アゼルバイジャン 45 23
4. クロアチア 280 167
5. フィンランド フィンランド 80 (21)
6. マケドニア 135 2
No. 国名 戦力 増減
7. アイルランド 7 2
8. スウェーデン 280 (76)
9. スイス 0 撤退
10. グルジアの旗 グルジア 1 1
11. ウクライナ 3 新規

非NATO加盟国(非EAPC) 

現在、ISAFには非NATO加盟国で非EAPC加盟国から以下の6カ国が参加している。
No. 国名 戦力 増減
1. フランス[22] 2,730 1752
2. オーストラリア 1,080 197
3. ニュージーランド 155 3
4. ヨルダン 0 (90)
5. シンガポール国旗 シンガポール 0 新規
6. UAE 0 新規

 

2009/06/26
14:32
モサド 要員数

要員数 [編集]

情報機関員数は、一般的にその秘密性から正確な数字は不明である。日本政府によると1500~2000人と推測されている。[3]正職員の外、世界中に存在するユダヤ人を協力者、サイアニムen:Sayanim)として利用することができる。

 

機構 [編集]

主要部門としては、以下のものが存在する。

  • ツォメト:モサド最大の部署で、スパイからの諜報情報の収集を担当
  • ネヴィオト(旧クエシェト):盗聴等を通した諜報情報の収集
  • メトツァダ(旧ツェザレヤ):特殊作戦
  • キドン:首相が議長を務めるX委員会が承認した人物の暗殺を担当
  • 情報局:心理戦(プロパガンダ、偽情報)を担当。捕虜や行方不明者の情報収集も担当する。
  • テヴェリ:友好国との連絡
  • ツァフリリム:全世界のユダヤ人の安全を担当

以上の部門は、副長官が業務を管掌する。その外、訓練課、人事・会計課、技術・諜報設備課、研究課等が存在する。

 

歴代長官 [編集]

 

著名な諜報員 [編集]

2009/06/26
14:31
モサド

イスラエル諜報特務局(イスラエルちょうほうとくむきょく、英語: Institute for Intelligence and Special Operations, ヘブライ語: המוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדים‎)は、イスラエル情報機関首相府管下に在り、対外諜報活動と特務工作を担当。イスラエル・インテリジェンス・コミュニティーのメンバー。

ヘブライ語名のハ-モサッド・レ-モディイン・ウ-レ-タフキディム・メユハディムの最初の部分の「ハ-モサッド(המוסד)」を固有名詞的にイスラエル諜報特務局を表すものとして呼ぶ事はイスラエルで一般的である。また、日本で一般化したモサドという言葉は、ヘブライ語のモサッド(מוסד)が日本語的に訛ったもの。モサッドはヘブライ語で組織や施設、機関といった意味で使われる。
 

情報収集、秘密工作(準軍事的な活動および暗殺を含む)および対テロリズム活動、逃亡している元ナチス戦犯の捜索などを行い、その焦点は主にアラブ国家などの敵対国に向けられ、組織の拠点は世界の至る所に存在する。ハ-モサッドは「民間のサービス」という名目で、スタッフはすべて、イスラエルの徴兵システムの一部としてイスラエル国防軍に採用されるが、軍隊の階級を使用しない。また、それらのうちの多数は士官である。世界各国にユダヤ人ならではの人脈もあり、諜報活動においては他国の追随を許さない。

局員のリクルートに非常に神経を遣っていることで知られ、リクルートの対象となった人物がスパイとして適格か否かを判断するまで、平均3~4年とい う時間をかける。リクルートの対象となった人物は知能・知性を中心に、品性、社交性、思想、体力などありとあらゆるデータを徹底的に精査されるという話か らも、ハ-モサッドのリクルーターたちの有能さが窺い知れる。

ユダヤ機関とハガナー  [編集]

イスラエル諜報特務局の組織的源流は主に2つ。1つは英国国際連盟委任統治領パレスチナのハ-イシューブユダヤ人社会)の政府であったユダヤ機関外交部及び諜報部の政治局。ハイム・アルロゾロフ(1931-33)やモシェ・シャレット(1933-48)が歴代局長を務めた。ハ-モサッド初代長官ルーヴェン・シロアッフも政治局員であった。2つめは1940年に創設されたハガナー情報部の英国課である。

 

イスラエル独立  [編集]

1948年5月14日にイスラエル国家独立。軍事組織ハガナーを基にイスラエル国防軍創設。

 

コミュニティー成立  [編集]

ハ-モサッド公式サイトは1948年6月7日にダヴィド・ベン=グリオン首相がハガナー情報部を解体を命令したとしている。高級紙ハ-アレッツの諜報問題担当記者のヨッシー・メルマンによると、国防軍創設直後の1948年6月30日にイセル・ベーリーらによりハガナーの情報部門のシャイは解体されて、下記の3つの組織に再編された。メルマンはこの日をイスラエル・インテリジェンス・コミュニティーの誕生した日としている。

 

外務省政治局  [編集]

モシェ・シャレット外務大臣(及びベン=グリオン首相)の特務問題顧問であったルーヴェン・シロアッフ監督下の外務省政治局が対外諜報活動を担当。ハ-モサッドの前身となる。政治局局長にはボリス・グリエルが就任。シモン・ペレスの弟ギギー・ペレスも政治局に所属していた。

 

問題点  [編集]

外務省政治局の諜報活動における浪費は耐久生活が続くイスラエル建国期の質実剛健の気風に合わず、他の情報機関から反感を買い、政治局員の中傷が流された。さらに政治局の情報の質が低かったので、当時の安全保障問題専門家達は危機感を持ち、イスラエル軍作戦部情報課とイスラエル保安局は独自に対外諜報活動を始めて混乱が生じたので、それを一本化する強力な中央情報機関が望まれた。シロアッフに報告を受けていたダヴィド・ベン=グリオンは事情をよく理解していた。

 

モサッド創設  [編集]

シロアッフの勧めもあってベン=グリオンは、1949年12月13日に上記3組織の諜報活動の調整の為に総理府と外務省両属の諜報保安集中調整局(モサッド・レ-リクーズ・ウ-レ-テウーム・シェルテイ・ハ-モディイン・ヴェ-ハ-ビタホン)創設をシロアッフに命令した。ハ-モサッド公式サイトではこの日を正式な創設日と指定している。[1][2]一方メルマンは外務省政治局が廃止された1951年3月をハ-モサッド創設日と考えている。

 

初代長官シロアッフ  [編集]

ベン=グリオンの命によりモサッド初代長官にはルーヴェン・シロアッフが就任。この移行期に対外情報機関として外務省政治局とそれを監督する諜報保安集中調整局は並存。

 

外務省スパイの反乱  [編集]

1950年、ルーヴェン・シロアッフは外務省政治局解散を決定。段階的に諜報保安集中調整局への吸収を進めた。それに対して政治局員は猛反発。その際にスパイ達は秘密報告書を燃やして抵抗。さらに集団辞職へ発展。1951年3月、最終的に外務省政治局は廃止された。

 

諜報特務局  [編集]

外務省政治局の資産を収めた諜報保安集中調整局は諜報特務局(ハ-モサッド・レ-モディイン・ウ-レ-タフキディム・メユハディム)と名を改める。同時に外務省傘下から総理府直轄へと移る。メルマンによると、この時期にイスラエル情報機関は手本であった英国型から元首直属の米国型となる。

 

初期の長官  [編集]

ルーヴェン・シロアッフが健康の為に辞任すると、イセル・ハルエルは1952年から1963年まで諜報特務局長官に就任。1952年にはイスラエル総保安局長官を兼任して安全保障担当というポジションについた。


 

 

2009/06/26
14:12
ヒズボラ 主なテロ事件及びゲリラ闘争

  • 1982年7月19日 - ベイルートの米大学総長デイヴィッド・ロッジを誘拐。ロッジは、シリア諜報部の仲介により1年後に解放。
  • 1983年4月18日 - 駐レバノン米大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。63人を殺害し、120人を負傷させる。
同年10月23日 - 米仏海兵隊兵舎付近で自動車爆弾攻撃実行。米兵241人、仏兵58人を殺害。
同年11月4日 - イスラエル国防省庁舎を銃撃。21人を殺害し、10人を負傷させる。
  • 1984年1月18日 - アメリカ大学次期総長マルコルム・ケルを暗殺する。
同年3月7日 - CNNレバノン支局長ジェレミ・レヴィンを誘拐。彼は後に逃亡に成功した。
同年3月8日 - 米国籍のレヴェレンド・ヴェイルを誘拐。16ヵ月後、シリアとイランの仲介により解放。
同年3月16日 - 米外交官ウィリアム・バクリー誘拐。囚人との交換を要求したが、拒絶される。バクリーは現在も行方不明。
同年8月12日 - 在スペイン空軍基地で爆弾攻撃実行。18人を殺害し、83人に負傷させる。
同年9月20日 - 駐ベイルート米大使館に対して自爆攻撃実行。23人を殺害し、米英大使を含む21人を負傷させる。
同年12月4日 - ドバイからカラーチーに向かっていたクウェート・エアライン旅客機ハイジャッククウェートに収監中の数人の仲間の釈放を要求。機体はテヘランに着陸したが、特殊部隊が突入した。2人が死亡。
  • 1985年6月14日 - ローマからアテネに向かっていた旅客機をハイジャックし、ベイルートに向かった。イスラエルと南レバノンに収監中の数百人の仲間の釈放を要求。搭乗員8人と乗客145人を17日間に渡って拘束し、搭乗員1人を殺害した。機体は、アルジェリアに2度飛んだ後、ベイルートに着陸した。人質は解放され、実行犯は逮捕された。
  • 1986年9月9日 - 米大学総長を誘拐。44ヵ月後に解放。
  • 1986年10月21日 - アメリカ国籍のエドワード・トレイシーを誘拐。1991年8月に解放。
  • 1988年2月17日 - 国連監視団長ウィリアム・ヒギンズ大佐を誘拐。イスラエル軍のレバノン撤退と、収監中のパレスチナ人及びレバノン人全員の釈放を要求。米政府は交渉を拒否。大佐は現在も行方不明。
  • 1992年3月17日 - 駐アルゼンチン・イスラエル大使館付近で自動車爆弾攻撃実行。29人を殺害する。

同年、当時のヒズボッラー議長シャイフ・アッバース・ムーサウィーがイスラエル軍ヘリによる攻撃で死亡。

同年12月12日、イマード・ムグニヤの弟、フアード・ムグニヤがベイルート南部で自動車に仕掛けられた爆弾の爆発で死亡。

同年3月4日 - マナール村付近で爆破事件。イスラエル兵4人を殺害。
同年3月20日 - イスラエル軍のジープが随伴していた民間車で自爆攻撃実行。イスラエル兵1人を殺害。
同年6月25日 - サウジアラビアの米軍兵舎を爆破。米兵19人を殺害。
  • 2000年秋 - スイスでビジネスマンのエルハナン・タンネンバウムを誘拐。
  • 2006年7月 - イスラエル兵を拉致。報復としてイスラエル軍はレバノンを空爆。ヒズボッラーはイスラエルへのロケット砲攻撃を敢行、イスラエル北部の主要都市ハイファ等に打撃を与えた。また海上封鎖中の最新鋭艦にミサイルを命中・炎上させ、イスラエル側に衝撃を与えた。その後、空爆に続きイスラエル側がレバノンに越境侵攻し、ヒズボッラー側と激しい戦闘になった(イスラエル・レバノン紛争)。ヒズボッラーは、イランやシリアから提供された最新のロシア製携行対戦車ミサイル、メティスM・コルネットなどで、イスラエルの戦車メルカバや装甲車に大きな損害を与えた。結局イスラエル側は兵士だけでも100人以上の死者を出し、停戦成立時イスラエル国民のうち6割が今回の戦争は敗北であると考える結果に終わった。
  • 2006年8月14日-国連安保理決議に基づき、停戦発効される。(レバノン時間8時)
  • ヒズボッラーは停戦成立後、ナスラッラー師(議長)が歴史的な勝利宣言を行った。そして直ちにイスラエルの空爆によって家を失ったレバノン国民に対し、強力な復興支援を開始した。その額1人あたり1万ドルという大金を支援している。
  • 2008年2月13日 - ヒズボッラーのテレビ局「アル=マナール」は、軍事作戦顧問で数々のテロ事件を立案・指揮したとされるハッジ・イマード・ムグニヤが、シリアの首都ダマスカスでモサドに よって自動車に仕掛けられた爆弾の爆発により死亡したと発表した。暗殺現場は、ダマスカスのカファル・ソウサア地区で、周辺にはイラン人学校とシリア情報 機関本部がある。ムグニヤは、アメリカから国際テロリストとして国際指名手配を受けてから潜伏し、変装してレバノン-シリア-イラン間を往来していたとさ れる。2006年にイランのアフマディーネジャード大統領と会談したとも伝えられた。