2024/11/25 00:05 |
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2009/06/26 14:11 |
ヒズボラ |
ヒズボラ(アラビア語・ペルシア語: حزب الله アラビア語:Ḥizb Allāh ペルシア語:Ḥezbollāh))はレバノンを中心に活動しているイスラム教シーア派の政治組織。
発音表記は日本国内の報道ではヒズボラとなるが、アラビア語発音でヒズブッラー、又はヒズボッラー、ペルシア語発音でヘズボッラーであり、アラビア語で「神の党」を意味する。
1982年結成。急進的シーア派組織で、イラン型のイスラーム共和制をレバノンに建国し、非イスラーム的影響をその地域から除くことを運動の中心とする。反欧米・イスラエルの殲滅を掲げている。
イランとシリアが組織を支援しているといわれており、特にイランは組織設立時の関与(組織結成はイランのイスラム革命防衛隊によるものといわれている)や武器供給などヒズボラと密接に結びつき、一部の活動はイランの指示によるものとされている。
1980年代以降国内外の欧米やイスラエルの関連施設への攻撃を起こしており、1983年10月、ベイルートのアメリカ海兵隊兵舎への自爆攻撃、1984年9月のベイルートでのアメリカ大使館への自爆攻撃、1992年にはアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃を実行した。2000年にイスラエルがレバノンから撤退した後も、イスラエルへの攻撃を繰り返している。2006年7月にイスラエル軍部隊と交戦した際、投降した兵2名を捕虜にした。この結果、イスラエルのレバノン再侵攻を招き、全面衝突となったが、同年8月14日に停戦が成立し、現在に至っている。
合法活動 [編集]
ヒズボラは一般に過激派組織と見なされているが、パレスチナの過激派ハマースのように選挙に参加している政治組織である。独自の議会会派「レジスタンスへの忠誠」を結成して、議会選挙では1992年8議席、1996年7議席、2000年12議席と議席を毎回獲得し、2005年7月には連立内閣に参加した。
また、貧困層への教育・福祉ネットワーク(2002年のデータで、学校9校、病院3ヶ所、診療所13ヶ所を運営)を作っており、それ故に貧困層からの支持は厚い。 2007年のイスラエルとの戦いの際にも、被害を受けた人々の直接的な援助を行っている。
インターネット上に複数のウェブサイトを開設しており、テレビ局「アル=マナール」、ラジオ局「アン=ヌールー」、週刊誌「アル=アフド」も運営している。
組織 [編集]
1990年代から軍事部門と政治部門の分離が進められ、1992年に軍事部門は形式上ヒズボラとは無関係な独立機構に分離された。
- 精神的指導者:大アーヤトッラー・フセイン・ファドルッラー。現在は組織から距離を置いている。レバノンにおけるシーア派最高権威でもある。
- 議長:ハサン・ナスルッラーフ
- 副議長:シャイフ・ナイーム・カースィム
- 政治局会議議長:イブラーヒーム・アミーン・アル=サイイド
- 政治局会議副議長:マフムード・クマーティ
- 議会会派「レジスタンスへの忠誠」議員団長:ムハンマド・ラアド
- 執行評議会議長:ハーシム・サイフッディーン
- 執行評議会副議長:ムハンマド・ヤーギ
- 政治顧問:シャイフ・フセイン・ハリール
- 軍事作戦顧問:イマード・ファーイズ・ムグニーヤ 1983年の米仏海兵隊兵舎爆破テロの容疑で、国際指名手配されている。2008年2月13日、シリアでイスラエル情報機関により暗殺される。
- 対外関係局長:ナワーフ・アル=ムーサウィー
その他 ムハンマド・フナイシュ 前水資源・エネルギー相
2009/06/23 12:52 |
日本政府と国交のない国 |
ここはおもしろい。パレスチナだけではなく、諸々の状況から、日本と国交を結べていない国から国交はあるけど、承認する政府が存在しない国、などを
その明確な理由を述べながら解説してある。
組織は認めているが、国家として認めていないので国交がない国、パレスチナ。
存在は認めているが、国家を認めていないので国交がない国 北朝鮮。
存在自体を認めていないので、国交がない国 台湾(中華民国)。
国交はあるけど、承認する政府が存在しない国ソマリア。
などなど、文体は事実にのっとって書かれているにもかかわらず、
国々の正常ではない状況に対する指摘がユーモラスで
妙に笑えてしまう。(いや笑っちゃいけない状態なんだけどさ。
世界飛び地領土研究会というサイトの中のコンテンツの一つらしい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/index.html
非常におもしろい研究だ。
2009/06/22 15:40 |
ムシャヒディンとは |
ソ連侵攻
ソビエト連邦が1979年にアフガニスタンに侵攻したことにより始まったソ連・アフガン戦争の際、パキスタンが支援したムスリムのゲリラたちは、自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラムを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。その代表的な組織が、ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが組織し、アフマド・シャー・マスードが軍事的に率いた「イスラム協会」や、グルブッディーン・ヘクマティヤールが率いる「イスラム党」であり、その他にも多くの軍閥が群雄割拠した。
アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から志願兵として若者が集まってきたが、ウサーマ・ビン=ラーディンも若い時はこの志願兵の1人だったということが知られている。
アメリカもCIAを通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備(有名なものではスティンガー対空ミサイルなど)を提供していたが、東側の兵器に比べメカニズムが高度かつ高価であるため、損耗しても修理や補充がきかず次々に失われていったようである。ただし、西側製の装備は上掲のスティンガー [1] や通信機器 [2] など代替が難しいものに限られ、現実的にはAK-47やRPG-7など旧ソ連系の兵器 [3] が供与されていた。
尚、ムジャヒディンと言われる勢力には親ソ派もおり、人民ムジャヒディン(People's Mujahedin)がよく知られている。
脚注
1. ^ 当時、旧ソ連製のSA-7はカンボジア駐留ベトナム軍から多数流出しており入手は容易だったが、SA-7には航空機からのフレア放射で効果的に防御されてしまう欠点があり、駐留ソ連軍も早期にフレア投射による防御を行っていた事から、SA-7供与の効果は低いと考えられていた。
また、ムジャーヒディーンによって撃墜されたヘリは中国製の高射機関砲によるものが大半と言われており、熱源追尾機能が正常に動作するスティンガーも初期に供与された数本だけで、拡散を恐れた示威的な要素が大きい供与だったとも言われている。
2. ^ ムジャーヒディーンが装備した無線機や建設用重機、ピックアップ・トラックなどは、大半が日本製のものだった。
マスード司令官などは、根拠地としたパンジシール渓谷から産出する宝石や貴石などを、日本の甲府へ持ち込んで現金化し、日本でこうした装備を購入していた。
3. ^ これらの兵器は、ソ連と対立しながらソ連系兵器体系を保持していた諸国から調達されていた。
初期においては、北朝鮮から中東・アフリカのイスラム圏諸国へ輸出されたものが転売・供与されたものが多かったが、1982年頃から日本の対中援助で技術力・品質が一挙に向上した中華人民共和国の製品が増えた。
中東で唯一、ソ連系兵器を国産していたエジプトは、1981年にサダト大統領がイスラム原理主義者に暗殺され、国内でのテロ活動も頻発していたため、同じ原理主義者が多く参加していたムジャーヒディーンへの兵器供与には消極的だった。
2009/06/22 15:33 |
日本語で読む中東メディア |
2009/06/17 09:51 |
悪魔の詩訳者殺人事件 |
概要 [編集]
1991年7月11日、筑波大学助教授の五十嵐一が大学のエレベーターホールで刺殺され、翌日7月12日に発見された。
五十嵐助教授は1990年に反イスラーム的とされるサルマン・ラシュディの小説『悪魔の詩』を日本語に翻訳したことから、事件直後からイラン革命政府との関係が取り沙汰されていた。CIAの元職員は、イラン軍部による犯行を示唆している。目撃されやすいエレベーターホールで襲撃した事実も見せしめ犯行を裏付ける。
一方、日本の当局による調査は、敏感な外交状況を配慮して具体的な結果を挙げないまま実質上終了されている。テロ犯行否定の目的で、なぜ目撃されやすいエレベーターホールで襲撃したのか、なぜ目撃されにくい研究室で襲撃しなかったのかなど疑問点が挙げられ、個人的な怨恨による大学関係者の犯行の線も否定できないとして、犯人像の絞り込みすらできていない。
捜査中、学内の五十嵐の机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に五十嵐が書いたメモが発見された。これには壇ノ浦の合戦に関する四行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と表現されていた。このことから、このメモが書かれた時点で、五十嵐は既に何者かが自分を殺そうとしていることを察知していたと言われている。
15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま、(実行犯が1991年から日本国内に居続けたと仮定した場合の)公訴時効が成立した。